情報システム学会 メールマガジン 2010.3.25 No.04-13 [11]

連載 情報システムの本質に迫る
第34回 財政の危機と情報システム

芳賀 正憲

 昨年12月の全国大会と今年2月の研究会における同志社大学・金田重郎教授のご講演の中で特に注目されるのは、飲み物とメニュー、ウェイター、請求書(債務)からなる「小さなバー」の業務プロセスの、概念データモデリングによる分析結果です。
 中村善太郎氏の要(かなめ)の「もの」「こと」の考え方では、本質的に必要となる初期状態から最終状態への変化として仕事をとらえ、それをいかに少ない手間で実現するかをめざします。概念データモデリングでは、中村氏の考え方をオブジェクト指向と結びつけ、「データ状態が変化するエンティティ」に着目します。
 このような着目により作成した動的モデルでは、先の「小さなバー」の場合、メニューとウェイターが除去され、お客と飲み物と債務、および、それらの間の関係としてモデルが形成されます。
 できるだけ少ないアクションで、このモデルを実現しようとしているのが回転寿司であるというのは、金田教授の示唆に富んだご指摘です。回転寿司では、「注文する」「品物を取り上げる」「注文と値段を記録する」が1アクションで可能であり、合計額もテーブル上に残された食器をもとに容易に算出、お客に知らせることができます。

 ビジネスを効果的・効率的に進めていくためには、このように業務プロセスの本質的なモデルを見きわめることが肝要です。ちなみに、オブジェクト指向の前の段階で、情報システム開発方法論の中核をなしていた構造化分析技法では、この課題を次のように解決していました。

 情報システム開発方法論として、デマルコの提案した構造化分析技法は、画期的な意義をもっています。特に、情報世界を伝達・処理・蓄積の3つの基本要素に分けて図解するデータフローダイアグラム技法と、現行物理→現行論理→将来論理→将来物理のように、物理と論理の2階層に分けて進めていく開発の手順は、成果物とプロセスの両面から情報システム開発の構造化を促進しました。
 しかし、この技法を実際に適用していく過程で、次のような問題点が出てきました。

(1) データフローダイアグラムでは、処理機能を、円または楕円で表記します。最初、システム全体を1つの処理機能として表わし、次いで階層的に分割していくのですが、分割のしかたが主観に頼っていて、人によりまちまちでした。
(2) 物理モデルを抽象化し、論理モデルを作るのですが、どのようにすれば論理化したことになるのか、基準も方法論も不明確でした。

 後者については、デマルコ自身、「実際にドキュメントを見れば、論理化できているかどうか、自分には判断できる。しかし、その基準を言葉で表わすことがむずかしかった」と述べています。

 このような問題点に対し、マクメナミンとパルマーが、次のような考え方で解決策を提案しました。

(1) 外界などからのイベント(事象)に応答することが、システムの本質であると考えます。そこでまず、このシステムに応答を要求するイベントを一覧表にします。イベントには、外部の主体が要求するものと、時刻に応じて発生するものがあります。
(2) 1イベントに対して、このシステムとして1処理単位(データフローダイアグラムの円または楕円1個)が応答するものとして、処理機能分割の基本単位を定義します。
(3) 情報は、システム内の他の処理単位と、必ずファイルを経由して接続します。

 このようにして作成されたデータフローダイアグラムは、本質モデルと名づけられました。システムの最も基本的な機能とデータを表わしていると考えられるからです。
 このモデルは、別名完全モデルとも呼ばれています。システムの内部に、コンピュータの応答時間やファイル容量、その他の物理的な制約条件が存在しないとき、いわばノータイム・ノーコストで実現が期待されるモデルだからです。その意味で本質モデルは、ワークデザインの理想システムと等価なものです。

 構造化分析における論理モデルが、ワークデザインの理想システムと等価なものであること、論理モデルを本質モデルとしてその作成手順を明確にしたことは、マクメナミンとパルマーの大きな功績で、デマルコもこれを絶賛しました。

 デマルコがデータフローダイアグラムを中心に構造化分析技法を提案したのは、1970年代の末です。著書は、専門書としては異例のベストセラーになり、7年後にはわが国でも翻訳書が出され、その考え方は情報システム関係者の間でかなり普及しました。
 マクメナミンとパルマーが、デマルコ技法の問題点解決のため、本質モデルの提案を行なったのは1984年のことです。しかしその著書は、わが国では翻訳もなされず、考え方の普及は、ごく一部の企業と専門家の間にとどまりました。抽象、論理、本質、理想のような重要な概念が、当時のわが国の情報関係の専門家には、あまり価値観をもって受け入れられなかった可能性があります。
 その意味で、今日オブジェクト指向の段階で、概念データモデリングの推進や金田教授のご講演などを通じて、要(かなめ)の「もの」「こと」の考え方の普及が進められているのは大変に意義深いことです。

 ここまでは一企業あるいは一事業体内の業務プロセスの本質化がテーマでしたが、同様の分析を企業間あるいは事業体間のビジネスプロセスに拡張して適用することが考えられます。
 日本経済新聞(2009年12月10日朝刊)で、早稲田大学・内田和成教授は、音楽業界を例にして事業連鎖の組み替えにより新たに効果的なビジネスモデルが形成された経緯を示されています。
 消費者の視点では、音楽を聴くのに本質的に必要なのは、実はミュージシャンだけなのです。後は、その演奏をどのような手段で消費者に到達させるかが事業になっているのです。

 長らくの間、音楽業界の事業連鎖の核はレコード会社が担っていました。ミュージシャンを抱え、それをレコードやCDという形で製品化し、製品販売のためのマーケティングや営業活動を行ないます。製品は、レコード(CD)店などの小売店を通じて消費者の手に届きます。CDを聴くため、自宅ではステレオなどのオーディオ機器、外ではCDプレーヤーやMDプレーヤーを用いていました。
 しかし音楽は情報として取り扱いが可能であり、ネットワークの発展により、CDやレコード店は省略可能になりました。また、レコード会社・小売店の双方で行なっていたマーケティング活動は、iTunesストアに一本化されました。MDウォークマンはIPodなどに置き換わり、パソコンや携帯電話も音楽鑑賞のための機器として新たに選択肢に加わり、さらにiTunesによって、購入した音楽を消費者が一元的に管理することが可能になりました。

 企業内、企業間に続き、今わが国で最も本質化のプロセスを必要としているのは、公共部門ではないかと考えられます。それは、次のような理由によります。

 財政の大幅な赤字は、現在わが国の抱える最大の問題の1つです。2010年度一般会計の歳出は92兆円を超えますが、税収見込みは37兆円しかなく、新規国債発行額が44兆円を超えることになりました。家計に例えると、単年度においてさえ、収入より多い借金をして生活を支えている状態です。
 長期の債務はさらに深刻で、国と地方を合わせた残高は、2010年度末にはGDPの180%を超える見込みです。現在国際的に財政破たんが懸念されているギリシャでさえ、この値は110%強なのですから、わが国がいかに厳しい状態に陥っているかが分かります。
 海外の金融機関の作ったレポートを見ると、長期債務残高と財政赤字のGDP比から、日本、ギリシャ、イタリア、米国、英国、アイルランドなどが危険な国としてグルーピングされており、健全な国としては、ノルウェー、フィンランド、デンマーク、スウェーデンなどが挙げられています。

 財政を健全化し長期債務残高を減らしていく第1の対策として考えられるのは、歳出の削減です。しかし、2010年度予算を見ても歳出はむしろ増えており、高齢化にともなう社会保障費の増大が今後も続くことから、歳出を減らしていくことは容易ではありません。
 次に考えられるのが、経済の成長戦略による税の増収です。これは是非とも推進しなければなりませんが、しかし、期待されている2〜3%の成長が実現したとしても、長期債務残高を大幅に削減するには程遠いものがあります。
 したがって、残る選択肢として、増税は避けて通ることができません。

 実はわが国は、意外にも(幸いにも)かなり大幅な増税の余地をもっています。
 各国の国民負担率(租税負担率+社会保障負担率)(対国民所得比)は次のようになっています(日本は2009年度、外国は2006年)。
   日本       39%
   米国       35%
   ノルウェー    57%
   フィンランド   59%
   デンマーク    71%
   スウェーデン   66%

 わが国は、米国と並んで先進国の中では最も国民負担率の低い国の1つになっています。
 戦後60年以上にわたり、日本はさまざまな形で米国をお手本にして歩んできました。結果的には国民負担率も似たような数値になり、それと同時に、財政赤字、国民の間の経済格差、社会保障の不安などの共通項ももっています。
 一方、上記北欧の各国は、国民負担率はわが国に比し5割以上高いですが、財政は健全であり、高福祉で教育水準も高く、いずれの国も国際競争力はわが国よりはるかに高いのです。北欧諸国は、国のかたちのベンチマークとして、今後本格的に分析の対象にすべきものと思われます。

 わが国の国民が増税に対して拒否反応を示すのは、この数十年間に得られた情報から、政府に対して強い不信感があるからです。税金を多く払ったとしても、それは政治家、官僚、それに群がる公益法人、業者などに吸収されてしまい、肝心の国民にはわずかしか還元されないのではないかという懸念が払しょくされていません。
 もしも立法、行政、司法の各プロセスおよびそれらを総合するプロセスにおいて、本質モデルが実現できている(あるいは実現しつつある)ことが確信できたら、国民は喜んでより多くの国民負担にも応じることができます。しかし現時点で、政治家や官僚が本質モデルの概念とそれを実現していく方法論を理解しているとは到底思えません。そこに、この問題に対する情報システムの専門家の大きな役割があると考えられます。

 過去数10年、情報システムの専門家は、民間企業の技術革新や組織改革において主役といってもよい大きな貢献をしてきました。しかし公共部門においては、大量の不明データを発生させた年金記録管理システムや、利用率の極端に低い電子申請システムを多数開発した事例に見られるように、国民から巨額のお金を受け取りながら、むしろ役人と結託して債務の増加に関与してきた嫌いがあります。

 国の財政が破たんの危機に瀕している今こそ、情報システムの専門家は、本質モデルが分析できるというその固有能力を発揮し、行政刷新の重要スタッフとして新たな国のかたちの設計に貢献すべきと思われます。

 この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。
皆様からもご意見を頂ければ幸いです。