情報システム学会 メールマガジン 2009.8.25 No.04-05 [12]

連載 情報システムの本質に迫る
第27回 社会(経済)システムの分析(2)

芳賀 正憲

 (承前)ハンガリーの経済学者コルナイ・ヤーノシュが、経済システムのモデル化を数学によって進めていこうとしたのは、もちろん数学のもつ論理的な明瞭性にひかれてのことですが、1957年当時、現代経済学において数学の果たしている役割がきわめて大きくなってきていたため、「西側経済学界の一員になる」というコルナイの人生戦略を貫徹するためにも、数学という共通言語の駆使は必要なことでした。
 さらにコルナイにとって、数学の活用には大きな効用がありました。数学的な言語は、研究や雑誌編集の仕事を監視する機関や党本部の担当者に理解不可能であり、また数学的な手法は、政治的にも中立と見なされていたため、原稿に数式があるだけで検閲が省略され、出版が可能になったからです。

 最初のテーマとして、軽工業の企業管理における利潤の役割をとり上げました。当時、利潤の分配(報酬)は、収益性が、決められた水準を超えるかどうかに依存していました。企業が最大化する利潤の絶対額ではなく、利潤と売り上げの比率が刺激誘因になっていたのです。多くの人は、この刺激誘因が効果的と考えていたのですが、コルナイは、これら2種類の利害関心が、相互に異なる経済効果をもたらすと確信していました。

 2種類の最大化関数とそれに属するプログラム課題について数学モデルをつくってみたのですが、満足なものができません。このとき、抽象的なモデル化に卓越し、天才的と言ってもよい数学者リプターク・タマーシュを紹介されました。彼から多くのことを教えられ、また共同研究をすることによって、満足のいく250ページの研究をまとめて、翌年に出版することができました。

 次に、この著作を西側に発表しようと考えました。当時は、許可なしには著作を西側に送ることができない規則になっていました。しかし2人は、この規則を迂回することに決めました。その頃有名だった小説「兵士シュヴェイクの冒険」の中にある教訓「決して尋ねてはならない。尋ねられれば、Noという答えになる」に従ったのです。

 2人が論文を数理経済学の代表的雑誌Econometrica誌に送ったところ、論文は一言の修正要求もなく受理され、1962年に出版されました。社会主義国に生きる著者たちが、社会主義経済における企業に対する刺激誘因形式を、数学という、西側の現代経済学の言語で分析し発表したことが関心を呼び、注目を集めたのです。
 論文では、刺激誘因が所有関係や制度的な所与の条件によって自然な自発的な形で生まれてくるものではないことを示しています。このようなアプローチは、その後大きく発展するPrincipal and Agent関係や刺激誘因の問題に関して先駆的な研究になりました。

注)Principal and Agent関係
 Agent(代理人)は、Principal(依頼人)の利益のために委任されているにもかかわらず、Agent自身の利益を優先した行動をすることがある。これを回避するために、Principalとしてはどのようなインセンティブや監視の形態などを採用すればよいかが課題となる。このような関係をPrincipal and Agent関係と呼んでいる。

 価格は、市場ではなく中央の価格制御によって決まってきます。論文では、一方に企業の刺激誘因と価格、他方に生産量と生産物構成をおき、それらの間の経済的関係と、どの刺激誘因が生産能力以下の生産、あるいは以上の生産を誘導するか、どのような方向に産出構成を引っ張るかを分析しています。

 その頃からコルナイの関心は、理論的な命題の獲得から、計画化達成のための数学的手法の利用へと向かっていきました。ミクロ経済学や意思決定理論、オペレーション分析などの文献を渉猟し、線形計画の経済学への応用では、サムエルソンなど西側の学者の論文に学びました。

 最初の線形計画モデルは、綿工業における技術投資の適切な規模が、利子、為替平価、将来の輸出入など多くの要因にいかに依存しているか明らかにしようとするものでした。
 取り組み方法の新しさにひかれて、研究には軽工業部門の計画担当者、技術や貿易の専門家、それにコンピュータ技術者が加わりました。当時は、真空管を用いた、一部屋丸ごと占領するようなコンピュータでしたが、コルナイたちは、線形計画法とコンピュータの現実経済への利用の、国内におけるパイオニアとして研究に取り組みました。

 計画への数学的手法の利用では、別の研究者による投入産出分析が先行していました。しかし投入産出分析は、マルクス理論をベースにしていて、コルナイには「決定論」的哲学に支配されているように見えました。それに対して線形計画法は、新古典派経済学と親和性があり、「選択」の可能性を有していて、コルナイの新たな世界観と方向が一致していました。西側理論で重要な、限界費用や限界収益などの限界指標が、線形計画法で自動的に生成できることも、投入産出分析に対して有利な点と考えられました。数学的手法によってマルクス主義をレベルアップしようという考え方があったのに対して、コルナイは、数学的手法によりマルクス主義から決別する道を選んだのです。

 綿工業の数理計画は、成功の評価を得ました。次にコルナイは、他の工業部門も対象に加えて、線形計画法を国民経済計画のレベルに応用することを考えました。しかしそのためには、個別部門の場合に比べて20〜50倍の方程式体系が必要になり、その頃のコンピュータ能力では処理が不可能でした。これに対していくつかの対応策を検討し、最終的に次のような2水準計画化モデルを考えました。

 このモデルでは、まず中央計画当局が、投入量と産出量を各経済部門に割り当てます。各部門は、与えられた指標を満足させる最良の計画を線形計画法により作成し、投入財と産出財の影の価格を中央に伝えます。価格均衡の原理にもとづき、中央当局は、限界産出が低い部門から資源を引き上げ、それを高い部門に振り当てます。また、産出義務量についても調整します。この分配データにもとづいて、各部門は再度計算をします。最良の分配に到達するまで、この手続きを繰り返します。

  注)影の価格:シャドー-プライス(三省堂大辞林による)
競争市場によってなされる最適な資源配分と同じ資源配分を、計画経済などで競争によらずに達成させるための計算上の価格。均衡価格と同じ性質をもつ。影の価格。潜在価格。計算価格。

 このようにして思考モデルはできあがったのですが、その精確な記述と最適の均衡が導かれることの証明は、コルナイにはできませんでした。この問題も、やはり数学者のリプタークが解決しました。1963年、ゲーム理論が大発展をとげるはるか前に、ゲーム理論を用いて証明したのです。
 この研究成果をEconometrica誌に送ったところ、即座に修正なしで受理され、論文は1965年に出版されました。この論文によってコルナイとリプタークの名前は、数理経済学の世界で知られるようになりました。さらに同論文は、1971年にアローが、Econometrica誌に掲載された最重要論文22篇を選んだとき、その1つにはいっていました。

 コルナイとリプタークが発表した2水準計画は、中央集権的計画化の理想モデルと見なすことができます。このモデルにより、中央と各部門の計画を完全に調和させ、資源制約の中におさめ、中央当局の目的に適った最良の選択肢を提示することができます。しかも計画は一方的な中央からの指令ではなく、中央と各部門の両方に蓄積された情報にもとづいて作成されています。

 コルナイとリプタークの中央集権的理想モデルは、それまでにポーランドのランゲが提唱し、フランスのマランヴォーが数学モデルにしていた市場社会主義の理想化モデルと対照的です。ランゲとマランヴォーのモデルでは、コルナイたちのモデルとは反対に、中央から企業に価格情報が流れ、企業から中央に、価格に適応した生産量と投入量が報告されます。

 さらに、完全計画化のモデルであるコルナイたちのモデルは、完全市場を前提にしたワルラスの一般均衡モデルと対照的です。前者が、「完全集権化が完全に機能する」ことを理論的に証明したのに対して、後者は「完全分権化が完全に機能する」ことを理論的に証明したのです。

 完全計画化モデルは、前提とする諸条件が満たされるとき有効に働きます。コルナイの自伝では、6つの条件を社会主義経済の現実と比較して、いずれも満たされていないことを示しています。そのうちの3つを例として挙げると、次のようになっています。

 1)モデルでは、中央当局の目的は明瞭かつ一義的である。しかし現実は、一貫性を欠き、よくブレる。また、諸目的の相対的ウェイトが決められない。決める努力もなされていない。
 2)モデルでは、各部門の目的は、中央の目的に従属している。現実にはヒエラルキーの各段階で、すべてのプレーヤーが自己の利益の貫徹を図る。
 3)モデルでは、中央から部門への情報も、部門から中央への情報も、すべて正しいことが前提である。現実には各プレーヤーは、自己の利害関心に従って歪んだ情報を流す。

 ここから、驚くべき結論が導かれます。「前提とする諸条件を満たすことは、現実には不可能である。したがって、中央計画化が完全に機能することはあり得ない。」(当時コルナイは新古典派の主流に属すると自認していました。しかしのちに、やはりモデルの前提と現実との対比などを通じて、新古典派の理論的な核心であるワルラスの一般均衡理論に対しても批判を強めます。)

 コルナイは、中央当局が作成する公的計画と、数学モデルで計算される計画との間の関係に関心をもちました。一般に現代経済学では、社会の共通利益を表現する厚生関数を目的関数としてモデル計算をします。しかしコルナイは、多くのステークホルダーの間で、社会的利益を一義的に確定することは不可能と考えました。当時アローの、「相互に異なる個人の選好を共通の厚生関数に統一する民主主義的な意思決定手続きは存在しない」という不可能性定理が提示されていたことは知らなかったのですが、考え方の方向は一致していました。
 その上、当時の体制では、基本的な決定が党のヒエラルキーの頂点から出てくることを前提にせざるを得ませんでした。そこで、公式計画を所与のものとしてモデルの制約条件とし、目的関数としては、その改善が有用であることが自明であるような指標、例えば経常収支の改善などを用いました。すなわち、公式計画を前提にして、数学モデルで国民経済を少しでも改善することを考えたのです。
 多種の目的関数を用いることにより、多くの代替計画案を作成し、選択の可能性を増やすことができました。それにより、計画は1つというドグマの否定がなされました。
 その頃ソ連でも、計画への数学の利用が進められていましたが、ソ連の推進者は最適計画が作成できることを約束していました。コルナイには、それは幻想と思われました。コルナイにとって生産と消費の日常的な調整は市場の役割であり、数学モデルは、中・長期の計画化(例えば、投資の代替案の選択)だけを対象にすべきものと思われました。

 このような考え方を実地に検証するため、計画化への数学の応用に着目していた国家計画庁付属研究所の協力を得て、大規模なプロジェクトが開始されました。プロジェクトは、1つの中央モデルと18の部門モデルから成るネットワークの構築からスタートしました。1963〜1968年、最盛期には150〜200人のメンバーが参画した大プロジェクトでした。

 結果として、部門の計算はほぼ順調に進行し、注目に値する結論が得られました。しかし、中央の計算は当時のコンピュータ能力では処理がむずかしかったため、精度を落とした手法で進めざるを得ませんでした。データ収集も困難をきわめ、最終的な計算結果は、あまり芳しいものではありませんでした。
 それにもかかわらず、このプロジェクトには大きな意義がありました。

 (1)政府や党との関係でむずかしかった現実の経済制度の実証的な研究が行なえた。数学的手法を用いたので、実行が可能になったのです。
 (2)コルナイ自身、現代経済学に熟達すると同時に、のちに経済に関する政策、研究、教育の第一線で活躍する多数の人材を育成することができた。あわせて、経済学会の中に、数理経済専門部会を発足させた。
 (3)国民経済計算という、国際的な経済学発展の流れに同期して進めることができ、またその中でハンガリーの実績が評価された。

 判明した最大の問題点は、先にも述べた「完全計画化モデルで前提とする諸条件(例えば、中央と各部門の間で正確な情報が授受される)が満たされない」という事実です。その根源について、コルナイは次のように考えました。
「すべての知識・情報を単一のセンター(中央)に集めることは不可能だ。知識は必然的に分権化される。情報を所有するものが自らのために利用することで、情報の効率的な完全利用が実現する。したがって、分権化された情報には、営業の自由と私的所有が付随していなければならない。情報は、可能な限り分権化されていることが望ましい。」
 モジュール化の思想が、1960年代、すでにハンガリーで明確になっていたことが分かります。

 つまるところコルナイは、一国のレベルで経済の計画化と制御を行なっていくという、人類が社会主義に期待した壮大な夢は、たとえ最新の数学モデルとコンピュータをもってしても実現できないということを、体制の内部で長期間にわたり実証的に分析を進めることにより、認識したのでした。ソ連や東欧の社会主義体制が崩壊する20年以上前のことで、これがこの大プロジェクトの最大の成果だったと言えます。
 だからといって国民経済計算の意義が失われたわけではなく、一国の中長期的な経済発展の選択肢を広げ、命令ではなく、市場経済に適合した指示的な計画を明らかにするものとして、計画化思想のルネサンスは必要であるとコルナイは考えています。

 数学と経済学の関わりについて、コルナイの場合はリプタークと能力的に補完関係にあって、リプタークが抽象化、コルナイが現実面の解釈と応用を受け持ちました。しかし西側の経済学研究では、経済学者が最新の数学知識をもつことが必須になっており、逆に数学的能力が経済学研究の限界を定めるという弊害もでてきています。数学者と経済学者の学際的な共同研究で新たな道が開けないか、コルナイは一考をうながしています。(以下次号)

 この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。皆様からもご意見を頂ければ幸いです。