今年も7月、京都の祇園祭の季節がやってきました。ここ数年、プロジェクトを一緒に推進している同僚が、この時期毎年かかさず、祇園祭の太鼓を叩くため、京都へ帰省します。年に一度の大イベントに備え、半年以上前から、新規案件や改造案件の本番リリースや総合テストのスケジュールの調整の仕込みに余念がなく、また、その前後、一生懸命に業務に専念している姿をみているので、プロジェクトのメンバー一同自然と応援したくなります。
祇園祭や祇園という言葉を聞くと、舞妓はん芸妓はんを連想し、なんだかまぶしいものでも見るような憧れがあります。
はたして 舞妓はん芸妓はんの世界はいったいどんなものなんだろうか。そう思って手にとったのが、西尾久美子さんの「京都花街の経営学」でした。
本書、京都の舞妓さん芸妓さんの世界・・出雲の阿国以来、現在まで続く京都の花街という「秘密の世界」を350年近く続く伝統文化産業ととらえ、そのしくみと事業継続の理由、京都花街の強さの秘密を明らかにする・・という試みでした。
「なんで花街というところがずーっと続いてきてはるんやろうか?
今どきの若い若いおなごの子が、しんどい修行を辛抱できて、
なんでちゃーんと舞妓はんになれるんやろうか?」
この秘密・・花街全体が持つ「超長期競争優位性」は、情報重視のソフト型産業にある、という指摘は、目からウロコでした。
花街の構成要素は、大きく3つあります。
一つ目は、舞妓さん、芸妓さん。
二つ目は、お茶屋さん。お座敷をコーディネートする職業。接待飲食等営業2号営業に該当する。イベント企画会社。
三つ目は、屋形(置屋)さん。おかあさん、舞妓、まだ年季の明けていない芸妓が暮らす住居。若い女性に芸事やしきたりを教え、着物を用意して、舞妓さん芸妓さんとしてお茶屋に送り出す、いわば芸能プロダクション。
そして、この花街を支えるのが、高度技能専門職としての女性たちであり、教育システムでした。
舞妓さん芸妓さんは、日本舞踊・・三味線・太鼓・笛などの邦楽器を演奏し、長唄・小唄・常磐津などを唄い、立ち居振る舞いの基礎として茶道をたしなむという、芸事に加えて、お客に対する「おもてなし」の技術も身につけています。
また、教育機関としての「女紅場(じょこうば)」とともに、その発表の場として様々なイベント・踊りの会があります。
「かしこい妓」とは、全体の中で自分のことがわかり、だからこそ自分の持ち場を知り、個性を磨こうと努力する芸舞妓さんたちのことである、といわれます。
芸舞妓さんのキャリアパスは、15歳の中学卒業後、置屋へ入り、仕込みさんとなります。16歳、舞妓さんデビューし、20歳過ぎ、舞妓さんから芸妓さんとなります。年季明けで、自前の芸妓さん・・独立自営業者となって置屋から出て自活することになります。
定年はないため、80歳すぎても現役の方もいるというから驚きです。
お茶屋のお母さんは、季節感に配慮したお座敷に料理をコーディネートし、宴席にふさわしい舞芸妓さんの手配をし、おもてなしの場全体をプロデュースします。
置屋(屋形、子方屋(こかたや))のお母さんは、若い芸妓さんや舞妓さんたちの育成責任者であり、日常生活をともにしながら修行期間から独立するまで数年間かけて、芸事から花街のしきたりに至るまでを、根気強く教育します。
また、花街を外から敷居を高くしている「一見さんお断り」というしきたりが実によく考えられています。
1.長期掛け払いの取引慣行
債務不履行の防止。少なくとも代金の請求ができるまで、はっきりした居場所・連絡場所がわかっている人でないとお客さんにはしない。
2.もてなしというサービス
顧客の情報にもとづくサービス提供。何十年も通ってくれるお馴染みさんと、一見さんが同じ扱いを受けることこそ、不平等である。
3.職住一体の女所帯
生活者と顧客の安全性への配慮。お茶屋と置屋は兼ねていることが多く、芸舞妓の私邸に迎えての酒宴となるため、全く面識の無い人を迎え入れるわけにはいかないため。
以上踏まえての
「超長期競争優位性の事業」としての京都花街が存続した理由はどこにあるか?
「京都花街の経営学」では、この考察にあたって、戦前までは京都以上に盛んだった東京の花街と比較しています。
東京の花街は、柳橋や新橋、赤坂など高級料亭として、政治や経済の密談の場として利用されたため、高級化し、特別な人が特別な機会にのみ利用する場となってしまった。また、芸舞妓さんを育成する置屋さんも、地価高騰の中、全員が一緒に生活する場を持てなくなった。
その結果、東京の料亭は、設備投資型のハード型産業となったのに対し、京都の花街は、情報重視のソフト型産業となっている。
時代の変遷や状況に応じた「おもてなし」に柔軟に対応しつづけた結果、京都の花街は、現在も続くことができている。京都にいる舞妓さんは、現在70名。しかし、この70名は世界の中の70名。この自負を持って仕事をしている、と。
一人のプロマネとして読んだ後、自社の組織がプロジェクトメンバー育成のための「屋形(置屋)」にあたること。また、プロジェクトそのものが「お茶屋さん」であり、日々の検討会や報告会が「イベント・踊りの会」であること。そして、舞妓さん芸妓さんは、IT技術者自身にあたります。
1300年間続いてきた「ソフト型産業」の先輩産業として、顧客満足を満たすための徹底したこだわりを、「屋形(置屋)」の人材育成に学び、「お茶屋さん」のプロデュース力に学ぶこと。そして、一生現役をはられる芸舞妓のマインドに学ぶところが大いにあると思います。
「芸妓はんは一生一人前になれへん、芸事には終わりはあらへんのどす」