情報システム学会 メールマガジン 2009.7.25 No.04-04 [5]

会員コラム
「のようなもの −例を通じた学習の効果は?−」

株式会社コンピュータ教育工学研究所 江島 夏実

 去る2009年7月11日(土)のシンポジウムで講演した内容をまとめました。時間が短かったので,講演の時点では話していなかったこともありますが,そういう内容も含めて簡単に紹介いたします。シンポジウムの講演資料は下記URLからダウンロードできます。合わせて参考にしていただければ幸いです。
http://www.issj.net/sympo/2009/090711_shiryou_3_ne.pdf

自己紹介

 私は株式会社コンピュータ教育工学研究所を経営している江島と申します。1985年4月に同社を創業し,主に情報教育分野の教育実践業務,教材開発業務,システム開発業務を生業として24年余り仕事をしてまいりました。縁あって浦昭二慶應義塾大学名誉教授のお誘いを受けて当学会の発起人に名を連ね,今日にいたっております。
 私の専攻は管理工学でした。管理工学の対象領域は非常に幅広いわけですが,私は修士・博士を通じて経営管理の分野を専攻し,企業の決算行動を分析するテーマを研究してきました。この分野における唯一の著書として,指導教授である高橋吉之助慶應義塾大学名誉教授,現慶應義塾大学商学部教授黒川行治氏,現慶應義塾大学理工学部専任講師高橋正子氏,現長崎総合科学大学教授渡瀬一紀氏との共著で,中央経済社から「企業の決算行動の科学」を出版しています。これは,高橋名誉教授が平成4年に没したことを受け,それまでの我々の研究成果をまとめたものです。このような研究テーマであったことからも分かる通り,私は1ユーザとしてコンピュータシステムを使いまくりましたが,情報科学系は専門外でした。

マイコン教室のアルバイト講師に端を発して…

 しかし,博士課程の2年目,1982年のことですが,当時の数理工学科の先輩に誘われ,NEC Bit-INNマイコン教室のアルバイト講師を始めたことが,今の仕事につながりました。当時,まだ「パソコン」という言葉はなかったのですが,NECがPC-8001を168,000円(本体のみ,定価)で発売したことをキッカケにした大パソコンブームの始まりのころでした。
 言うまでもなく当時のPCにアプリケーションソフトウェアは実質的に存在せず,BASICなどのプログラム言語を駆使してプログラムを作ることがPCを使うためのほとんど唯一の手段という,今思えば誠に奇妙な時代でした。国民の多くが中学校や高校でプログラミングを必須で学習していたならともかく,現実はまったく正反対の時期に,まるで魔法の箱のように何でもできるかの如くPCを販売することには疑問を感じていました。NECの正社員が責任をもってエンドユーザ教育を実践するならともかく,孫請会社が雇うオーバードクターの講師に丸投げするとは一体どういうことだろうか? これでいいのだろうか? と感じつつ,仕事をしておりました。
 折しも大ブームですからいろいろなところから講師の声がかかりました。自然に講師ネットワークができ,気が付くとその中心に私がいました。これが今の会社を始める一番のキッカケになりました。西武コミュニティカレッジというカルチャースクール,専門学校などからも声がかかり,ついには短期大学(現目白大学)の講師まで引き受けることになりました。これらはいずれも,どちらかというと,情報科学系のことを学習する背景に乏しい人に対する教育機会であり,授業を成立させるためにさまざまな試行錯誤を繰り返さざるをえない状況でした。
 カルチャースクールは当時3カ月で1回転するコース設定でしたが,すでに初級コースを終えたはずの生徒さんが,また同じコースに入ってきて,その理由が「自分ができることを他の人に自慢する」ことが目的だったと知って唖然としました。
 私が書く四角ばった「入力」という文字を見て「先生,スカってなあに?」とたずねた専門学校生が, 5〜6行のプログラムも書けなかったのに,「先生!××コンピュータサービスに就職が決まったよ,私もプログラマね!」と言われて,「僕の役割はいったい…?」と思ったこともありました。
 1982年から通算して約10年は,こういう異次元の経験を積みながら,プログラミングやワープロソフト,表計算ソフトの使い方などを教えてきた10年でした。

2:8の法則?

 さまざまな機会で経験を積む中,比較的初期に気が付き,経験を重ねるごとに確固たる気持ちになっていったことは,いわゆる「2:8の法則」です。プログラミングであれ,アプリケーションソフトであれ,どのような教育機会でも,「この人はできる,上の段階に進んでも大丈夫!」「これならプログラマになれそうだ。」「この人は実務への応用力がありそうだ。」などなど,ポジティブな印象をもてる生徒さんは1〜2割しかいないということです。こちらの教育スキルを磨いてもせいぜい2割,あとの8割はごく身の回りのことはできても,そのスキルを標ぼうできるプロにはなれないなぁ… つまり2:8の法則です。
 それはなぜだろう? この質問にも比較的初期に答えを見つけました。それは,プログラム言語であれ,ワープロソフトであれ,表計算ソフトであれ,みな汎用的なものだから,というのが結論でした。要するに,これらのツールはコマンドとかメニューといったパーツを提供するものであり,それを与えるから,後の組み立ては自分でやりなさい!という代物です。
 プログラム言語はそのパーツが小さく,ワープロソフトや表計算ソフトになると,そのパーツが大きくなるわけです。しかし,パーツはパーツです。パーツを組み立てることが前提だから汎用的,つまり,「何でもできる」わけです。しかし,パーツを組み立てるというのは誰でもできるわけではありません。「何でもできる」は裏返すと「何にもできない」かもしれません。「何やってもいいよ」と言われると「何をやっていいのかわからない」わけです。
 考えてみると,英語や数学,物理,みんなそうです。覚えなければいけないことは,一つの単語であり,一つの公式,一つの法則,みな「要素」です。それを組み合わせることによって,人間は会話するわけですし,理数的な課題も解決できるわけです。これらの教科を教えるのに,全員が満点を取れるような方法は今のところ見つかっていないでしょう。だから,一見後ろ向きのように聞こえるかもしれませんが,コンピュータの教育現場だって同じだと… 100%の人がプログラミングをできるようになるなんてありえないことだと… このように思ったときに少し気分がラクになったことを覚えています。

では,どうしたらよいのか?

 しかし,私は教育のプロフェッショナルです。一人でも多くの人の知識・スキル水準を高める使命があります。2割を2割1分に,2割2分に…高めなければなりません。
 数学や英語ができるようになるためにはどうだったか? やはり,そこには動機付けがあったような気がします。動機付けの方法もさまざまですが,一つの方法として,分かりやすい事例,興味が起きる例題,やる気にさせる課題,… こういったものを提供することで一人でも多くの人を目覚めさせることができるのではないか? これは自然に考えたことで,また,自然に実践していました。
 私は今,教育現場に立つのは法政大学の経営学部の授業だけです。そこではPowerPointを使ったプレゼンテーション技術を高めることを目的とした授業をもっています。限られた授業時間の中で目的を達成するために,PowerPointの使い方・機能などは限定的にして,とにかく多くのケーススタディを実施するようにしています。「動画も使って吉野ヶ里遺跡を紹介しなさい」とか,「サラリーマン世帯の貯蓄金額の分布を説明しなさい」など,分かりやすく,ありがちな題材にすることを最も重要なポイントとして教材作りをしています。
 振り返ればこの30年近く,作った「例題」は小さいものもカウントすれば,数千にものぼるかもしれません。これから先も作り続け,いつかはまとめてみたいと思っています。

のようなもの

 ここまで述べた,分かりやすくて教育効果のある「例題」「事例」「例え」が有効ではないかとの考えを確固たるものにする出来事が1993年にありました。当時,ある出版社の誘いでユーキャン社(当時,日本通信教育連盟)に,PC付きのパソコン入門講座の企画をぶつけました。まだMS-DOSが主流で,Windowsは3.1の時代です。アプリケーションも一太郎とLotus1-2-3が定番となった時代でした。その企画の原案はWindows3.1にWindows版のLotus1-2-3(バージョン1)を搭載したPCを付けて販売するという,今考えるとぞっとするような企画でした。それもそのはずで,その数年前に松下電器と組んで「スララ」というワープロ専用機付きのワープロ講座を大ヒットさせた実績があったからで,明らかに二匹目のどじょうを狙った企画でした。
 結果として,この企画は頓挫し,その後4年間眠ることになるのですが,初めてユーキャンの担当者と打合せしたとき,先方のO課長から,「教材は,〜のようなもの」を意識して作ってくださいと言われたことが実に印象的でした。「のようなもの,という『例え』は厳密にいうと不正確であっても,それによって理解が一歩進む」というのが理由でした。ユーキャン社はサービスのほとんどが個人向けの通信教育講座という非常に特殊なビジネスモデルの会社ですが,そのことが真に顧客満足を実現するノウハウの高さを表している会社です。当時も,今になっても,そういう大衆教育において確固たるノウハウをもった企業の担当者が言った一言にはズシッとくる重みがありました。
 確かに「例え」は不正確かもしれません。「メールサーバは郵便局のようなもの」,メールを中継する働きをもつ点では正しい「例え」でしょう。しかし,郵便局は受取人が黙っていても郵便を配達してくれますが,電子メールは受取人がアクションをかけなければ届きません。私の父は大正生まれで80歳を超えていますが,10年以上も前にPCを買って自分でいろいろな設定をするぐらい積極的なのですが,あるとき「メールが来ないんだけど?」と聞かれて,話をするうちに,要するに「待っている」だけで,自分から「送受信」ボタンを押していなかったということが分かりました。
 これは「例え」は既存の概念(この場合は郵便の仕組み)があることを前提にした手段であり,そのことが誤解を生みかねないことを表した例と言えるでしょう。しかし,誤解は生じるかもしれないけど,郵便局に相当するメールサーバがあるというように,電子メールを郵便の仕組みに例えることによって進む理解のほうが大きいのではないでしょうか。まず理解の第一歩はそういう分かりやすい「例え」で入って,起こるかもしれない誤解は一つひとつ後から解決していけばよい,という考え方に,私は自然に共感を覚えていました。

情報システム教育に有効な事例の整備に関する研究会

 この後は,私が「例え」や「例」,「事例」を重視した教育実践,教材開発を行う中で,そのことに関連した最近の経験や事業展開などについて三つ話題を提供したいと思います。
 一つ目はサブタイトルとした研究会(情報システム学会の)で,ここまで書いてきたことを地で行く研究会の紹介です。この研究会は,昨年の2月ごろ浦先生のほうから研究会の設置を勧められて検討を加えた結果発足させたものです。名前の通りの目的・趣旨で,「事例」を整理していこうと考えたものです(詳細は情報システム学会のホームページにある研究会のリンクを参照してください)。
http://www.issj.net/kenkyuu/2008_is_kyouiku/is_kyouiku.html
 このような試みは目新しいものではなく,事例集的な書籍はたくさんありますし,Webサイトでも日経BP社が提供するIT Proの事例集 http://itpro.nikkeibp.co.jp/jirei/index.html などは非常に豊富な事例を詳しく紹介しています。
 それでも,新たに事例集をまとめたいと思ったのには,二つ理由があります。一つは,高校生や大学1年生ぐらいの段階で興味を持てる内容にしたいと考えたからです。既存の書籍やWebサイトはやはり「大人」向きで,業務や仕事に疎い10代の学生・生徒には難しいし,興味を喚起しにくいと思います。題材は大人向きでもよいと思いますが,説明は学生・生徒向きにしたいと考えています。理由のもう一つは,コンピュータシステムの観点からではなく情報システムの観点からまとめたかったからです。情報システムの事例ですから,結果的にコンピュータシステムを含むものになるのは仕方ないと思いますが,観点・視点は常に人間系というか,人間にとって意味のある情報システムとはどのようなものか?という点に置いたものにしたいと考えています。
 また,この取組を進める上で,やるからには継続的な取組に発展できるようにしたいということを強く思っています。事例は常に誕生するものですから,2~3年かけてすばらしい書籍ができたとしても,それは常に改訂が必要なものにならざるを得ません。したがって,書籍の形は維持が大変で,やはり,Webサイトで発信するのがベストだと思います。となると,そのサイトを運営することが必要で,また,コンテンツはこのサイトの趣旨に賛同する人々や企業の協力なしに作成することができません。そのためにはどうしてもコストがかかってしまうので,そういうコストをうまく回収できるような仕組み,要するに,一つの事業として考えないとよいものはできませんし,長続きしないかと思います。当研究会は,まだ,事例をどのようにまとめるか?を中心とした研究会しか行っていませんが,ゆくゆくはそういう運用面の議論をしたいと思います。

PBL教材

 10年近く前からでしょうか,PBL(Project-Based Learning)という言葉をよく聞くようになりました。実際の(あるいはそれに近い形の)システム開発プロジェクトをテーマにして,プロジェクトを進めながら学習を進めるカリキュラムを組んで,実践力を磨こうという試みです。これはある程度の実践力をすでに持っている技術者のスキルアップには大いに効果があると思われますが,素質はあっても経験の少ない学生を相手にして実践力を身につけさせるPBL教材の開発は難しいかと思われました。
 そこでどうするか? 難しいテーマをあえて設定した事業が総務省の予算で平成17年度にスタートしました。この予算は,常日頃パートナーシップを組んで仕事をしている教育戦略情報研究所という会社の舟本奨代表の尽力によって開発された予算です。そういう縁もあって,過去3年間,特に,19年度と20年度は中心的な役割の一部を担って,ICTシステム構築マネジメント,ICT人的資源マネジメントのPBL教材を開発しました。両年とも請負先が琉球大学,協力が富士通総研という組合せで事業を進めましたが,私の強い希望で,富士通総研のコンサルティング事例をもとにした教材開発を試みました。19年度はコーセー化粧品のSFA開発,20年度はコニカミノルタ社のコールセンター構築を題材に選びました。
 しかし,実際に教材に着手すると,SFA開発なりコールセンター構築なり,マネジメントの観点に絞ったとしても,教材に入れるべき情報が非常に大きく,大変なチャレンジ事業になりました。そして,作っていけばいくほど,いわゆるケーススタディの積み重ねのようになってきました。通常,1つのケーススタディは1テーマで,学習者の意思決定に必要な情報を記述してあります。1テーマですから,教材をもとに議論が発散しても,それはそれでよく,とにかく議論を尽くす中で実践的なことも含めて知識を磨けばそれでよい,というのがケーススタディといえるでしょう。しかし,プロジェクトは意思決定の連続であり,実際の事例に取材すればするほど,重要な意思決定局面が次々と登場します。したがって,ケーススタディの手法を適用し,学習者の意思決定を尊重してグループの発散を許容して次の段階に進むことを前提とすると,きわめて膨大な教材開発作業量となり,現実的なものではなくなってしまいます。
 そこで,本事業を進める上では,開発・構築プロジェクトを順に追いながら,重要な意思決定ポイントでは適切な情報を与えてグループ討議を進めさせ,そのポイントにおける成果物を出させ,いったんその段階で講師が成果物を評価して議論を収束して模範解答を示し,そのうえで次のステップに進む,すなわち,意思決定ポイントごとに参加各グループの同期を取るような教材を開発しました。
 その結果ですが,実際に参加した学生や講師の評価は非常に高いものがありました。学生から見れば,それがたとえ擬似的なものであっても,実践的なテーマで討議を繰返しながら意思決定することは初めての新鮮な経験であり,非常に多くの知識を獲得できたとの評判でした。
 ただ,教材開発をプロデュースした私としては,2年間やっても,「これでよかったのか? 結局ケーススタディを積み重ねただけではないか? これでPBLと言ってよいのか」という思いが残り,それはそれで私の宿題として残っています。しかし,実際の事例を使い,浅くても広い視点でシステム開発・システム構築の全体を見渡し,その中でマネジメントの意思決定を擬似的でも行ったことは,確実に学習者の実践力を進歩させたと感じています。このような試みをいろいろな視点から積み重ねていくことが,「事例」の活用を図った実践的な教材の開発・蓄積につながることは間違いないという手ごたえは感じました。

ITパスポート試験

 情報処理技術者試験は昭和44年に始まった制度ですから,今年は40周年になります(そういえば,記念イベントはないですね)。これまで人材ニーズの変化に合わせて何度か制度改革がありましたが,今年度からまた大きく変わりました。その目玉がITパスポート試験で,これは,従来の基本情報技術者(昔の第二種情報処理技術者)の下に,広く浅い知識を問うことを目的として設定された試験区分で, IT技術者のすそ野を広げることを狙っています。4月に行われた第1回の試験では46,000人余りが応募して,数としてはまずまずでした。受験者の内訳を見ると,大学生以下の学生が全体の1/3,中でも,高校生の受験者数が大学生の受験者数を上回っていました。
 新しい情報処理技術者試験制度のカリキュラムは,レベル1のITパスポート,レベル2の基本情報技術者,レベル3の応用情報技術者の出題範囲が共通であるという大きな特徴があります。すなわち,ストラテジ系,マネジメント系,テクノロジ系という3つの領域が明確に定義されています。各試験区分における出題範囲・水準はかなり詳細なシラバスを提示しており,以前に比べて情報公開が大いに進んだことは評価に値すると思います。ただ,個人的には,シラバスの中身の体系化に疑問点がいくつかあり,将来的には改善していってほしいとも思っています。
 私は今,法政大学経営学部「システム管理論」という授業をもっており,この授業の中で,ITパスポート試験合格を唯一の目標に掲げた授業を行っています。学生は国家試験がとれると思ったからでしょうか?たぶんそうだと思いますが,300名弱の履修者が現れる事態となりました。そして,ITパスポート資格を取得できれば無条件にこの科目の単位を与えるとも宣言しました。私の狙いは明確で,とにかく動機と具体的な目標を与えることです。このような試みが大量合格者に結び付くかは現時点で分かりませんが,個人的には,受けた者が全員受かるぐらいのつもりで動機づけをしています。
 大学で資格の取得もないだろう,と言う教員はたくさんいるでしょう。かくいう私も,本筋ではないと思っています。やはり,大学は将来の応用力につながる基礎力を身につけるところであり,それが結果的に資格という存在につながるものであればいいが,そうでない場合にあえて資格対策的な授業をするならば,それは専門学校などの役割であり,むしろダブルスクールのスタイルで取り組むべきと思っています。
 ではなぜITパスポートなのか? IT立国を目指して高校では教科情報を必修とし,一見ITを重視した政策を講じているように見えますが,教科情報は大学入試センター試験の科目でなく,また,教科情報で受験できる大学も多くありません。つまり,高校における教科情報は,その動機づけの難しさもあって,形骸化していると言ってもよいでしょう。
 一方,大学に目を転じると,情報リテラシーを高めるための仕組みを用意しているところはいっぱいあります。たとえば,入学して間もない学生にテストを課し,それにパスした者のみにIDカードを発行するような仕組みです。パスしないとIDを発行してもらえないわけですから動機づけとしては十分です。しかし,ここで実施されるテストは極めて限定的なものです。
 また,大学では情報リテラシー系の授業の中で,ワープロソフトや表計算ソフトの使い方を学習させているところが少なくありません。しかし,これも単に操作法を学習するだけです。
 このように見てくると,情報立国を掲げながら,それに見合う国家的政策があまりに貧弱であると思わざるを得ない現実が見えてきます。言い換えれば,高校で教科情報を「いい加減」に勉強し,大学に入ってもPCアプリケーションの操作のみを学習したのでは,多くの学生はITに関わる浅くても広い知識をまったく学習することなく社会人になるということになります。
 これはやはり異常なのではないでしょうか? 先述のとおり,ITパスポート試験には解決すべきいろいろ課題があります。しかし,それでも国家試験,それにパスするということは大きな動機づけになります。したがって,それをパスするために勉強する,特にストラテジ系などは暗記すればできそうな問題もかなり多いですが,パスしたいと思えば苦にならないでしょう。暗記なんてすぐに忘れてしまうから意味ない!という人もいるでしょうが,若い世代は記憶力も確かですから,社会人になって役立つ知識もかなり得ることができるはずです。私の希望としては,ITパスポート試験には出来る限り「事例」を読み解かせる問題を増やし,暗記よりもその場できちんと考えられる力を養成できるようなものにしてほしいと考えています。
 このように,有力な動機づけになる資格試験について,なるべく若いうちのこれにチャレンジする風土が築かれれば,我が国のIT基礎知識レベルは確実に一歩前進できると思います。その意味で,現状では第三者的な立場になりますが,しばらくはITパスポート試験を活用する方向で,さまざまな仕事の機会を得たいと考えています。

まとめ

 「のようなもの」事例をめぐっていろいろと書いてきました。事例にはデメリットがあります。すなわち,「例え」は正確ではないため誤った理解を植え付けてしまう可能性や一部の事例のみに接する→偏った理解になってしまう可能性です。しかし,それでも,知らない,聞いたことがない,より良いと考えるべきではないでしょうか。
 ITパスポート試験についても同様のことを述べました。シラバスは必ずしも体系的ではないですし,広く・浅く100問はよいとして,寄せ集めの感を拭えません。しかし,こういう試験がないと… 高等学校の教科情報が形骸化している今,多くの若者が情報教育,情報システム教育を通らないまま社会人になっていく我が国の現状があります。寄せ集めであろうと,暗記学習になってしまおうと,体系的でなかろうと,… ITパスポート試験のようなものに動機づけられ,数十時間の勉強をし,緊張の中で必死に問題に取り組み,その結果,合格証を得る達成体験をすることによって,目覚める若者も多いはずです。
 よい事例は,そういうキッカケを与えるものになると考えるべきではないでしょうか? こういう発想は今に始まったものではありません。たとえば,教科情報がスタートしたころ(平成15年前後),高校の情報の教員がさまざまな事例の共有を指向したサイトを開くなどの試みも散見されました(たとえば,http://www.johoka.net/)。しかし長続きしません。それは教員個人の能力に依存しているからです。個人のボランティアでは限界があり,やはり,法人事業体の形をしっかり作って,制度的・組織的な発想による事業化が必要でしょう。事業化が成立すれば,専任の組織・スタッフが対応でき,サービスレベルが向上します。
 よい「事例」は間違いなく教育現場で必要です。うまい例え(「のようなもの」)を常に意識し,説明に都合のよい「事例」を蓄積・共有・活用することによって,これから先,一歩でも二歩でも教育現場を改善したいと思います。