今回、理事となりました「岩手県立大学」ソフトウェア情報学部の渡邊です。これまで『情報』と名の付く学会での理事を経験してきて感じた事をつれづれなるままに語らせてもらいます。個人的なとりとめのない話となるかも知れませんが、ご容赦を頂きたいと思います。
私が最初に学会の理事というものを経験させてもらったのは、今から20年近くも前の『経営情報学会』です。その当時、この学会の特徴は何よりも創設間もないということでした。研究領域としての新規性を追求することはもちろんですが、各人がそれまでの所属学会にない特徴をもった学会組織を作るという意欲にあふれていました。その象徴的な事のひとつが「理事」の代わりに『幹事』という名称を使い、幹事会を最高決定機関とすることでした。当時の経営情報領域の関係学会では、著名な諸先生方が理事という役職をいわゆる名誉職として位置づけ、実際の学会の運営は決定権を持たない若手研究者に押しつけられていたことへの反発でした。新設の経営情報学会は、学会員へのサービス向上のために汗を流して企画し実行していく奉仕集団としてのあるべき姿を追求していたと言えると思います。
当時、日本の情報関連の学会と言えば、理系では、情報処理学会(IPSJ)と日本オペレーションズリサーチ学会(OR)が存在し、文系では組織学会(OS)とオフィスオートメーション学会(OA)が存在していました。
皆さんもご承知の通り、IPSJは日本を代表する計算機科学と情報科学分野および工学の大知識集団です。他方、ORの方は、実務界の諸問題をモデルを使って科学的に解決する学問分野として、戦後米国の産業界で目覚ましく発展した経営科学、経営工学の殿堂でした。
他方、文系の分野を代表した組織学会は、近代アメリカ経営学分野の学問集団として、バーナードをはじめとする近代経営学の祖を主な精神的支柱として成立していました。また、OA学会は、70年代後半経営学の情報的視点を中心にして、当時アメリカでの経営の実践に積極的に取り入れられていた情報技術の活用を焦点として、徹底した実務的な活用例に焦点をあてて成立した知識集団でした。
このように、理系と文系の分野で情報をキーワードとして発展してきた学会のうち、より技術工学的な情報処理学会と数理科学的な日本OR学会、また経営の科学理論的指向の組織学会と経営の情報技術に関する実践的指向のOA学会は、それぞれ独自の発展をしてきました。ところが、トーマスクーンが著書「科学革命」の中でパラダイムシフトについて語ったように、知識社会集団としての学会は、その発展の中で異端児を生みました。理系では情報処理学会の浦昭二氏とOR学会の故松田武彦氏、そして文系では、組織学会の宮川公男氏、OA学会の海老澤栄一氏でした。彼らに共通するところは、学会創立当初の理念・精神の再確認であり、より新しい形式へ追求でした。
情報科学/情報工学の成果を追求するあまり、情報を扱う人間/組織の側面の取り扱いが希薄になりつつあった情報処理学会の中にあって、浦氏は、一貫して情報システムのもつ人間的側面を強調し続けた。松田氏も自らOR学会の創設者の一人として実際の経営の現場での問題を解決する姿勢からどんどん離れ、数理モデルの精緻さとエレガンスを追求する傾向を強める日本OR学会への限界を感じていたのではなかろうか。
宮川氏については、当時の組織学会にあって偉大な経営学の偉人らを崇拝する傾向の強い学会の将来を危惧したのかもしれない。科学としての意思決定論を求道して、経営の問題を科学的に解き明かそうとする態度には、組織学会の雰囲気は旧態依然と写っていたのかもしれない。さらに、海老澤氏は、創設者の強力な学会運営に距離を置き、当時アメリカの学会の自由な運営形態に共鳴した仲間と先進的な研究者集団を作ろうとしました。
たまたま、という表現以外には適当な言葉が思いつかないほど、これらの動きは全く独立にかつ類似した、『共進化』とも呼ぶべき行動を示しました。浦氏は、情報処理学会の枠内で「情報システム教育」に関するHIS研究会を立ち上げ、松田氏も経営情報学のカリキュラム整備の必要性を説く一方で、自ら「組織知能」概念を提唱し、組織の中での情報モデル的考察の重要性を指摘しました。文系の二つの学会でも共通のメンバーが新しい学会設立へ向けて大きく舵を切ろうとしていました。経営情報学会が誕生し、私が理事を経験した1990年代から2000年代とはまさにそのような時代だったと思い返し、2010年代に入ろうとしている今、組織として誕生して間もない情報システム学会の理事にさせていただいた事をとても新鮮な気持ちで受け止めております。
ところで、日本の学会活動を阻害する環境要因が増えてきたように思います。私は上記した通り経営情報学会で約20年間、3度の理事(幹事)(総務/大会)を経験させていただいた。それとは別に2つの所属大学での全国大会開催を経験し、それを含めて大会委員長、実行委員長、プログラム委員長もつとめさせていただいた。当然の事ながら全てボランティアである。つまり大学で教育研究する教員にとって自分の専門とする領域の発展に寄与する学会活動は義務のひとつという考え方です。ところが、昨今の日本の大学は大きく変化し、大学教員の評価基準も変わりました。削られるか極めて低い評価になったもののひとつにこの学会への寄与が入っています。具体的には研究費の使途として研究発表を伴う出張は認めるとしても、学会活動そのものを理由にした出張は対象としない大学が増えてきたように思います。
また、学会の大会運営における開催校の負担についても軽減せざるを得ない状況も生まれています。18歳人口の急減から日本の高等教育機関は、私立大学の受験生確保の多様な試みと国公立大学の独立法人化をはじめとする競争的資金獲得へと大転回としてきました。要は、大学にも教員にもゆとりはなくなったということでしょう。多くの国公立大学や私立大学では、大会での会場として大学施設を積極的に使わせてきました。いまでも理解のある大学では、開催補助金まで提供してくれるところまであります。しかし、昨今、多くの大学では状況は一変しました。多くの大学は授業日数確保のために土曜祝日も開講したり、長期休暇を短縮したりしています。また、国立大学は外部委託する教室の清掃費として会場費を請求し、大学施設の有料化はいまや常識となりつつあります。海外での国際会議の会場は一流ホテルか国際会議場を利用し、参加費も国内学会の10倍もしたりしますが、国内学会でもいくつかの学会が連合のような形で共同開催する等の工夫をして、積極的に会員へのサービス向上と開催側の負担を軽減することが必要になっているのかもしれません。