最近感動した物語に、山口一男さんの「ダイバーシティ 生きる力を学ぶ物語」に収められた「六つボタンのミナとカズの魔法使い」というファンタジー仕立ての小説があります。(*1)
ミナという少女の生きている世界では、人は生まれたときに両親が手作りした服を贈られます。この服には7つのボタンがつけられていて、この服を着て、一生を過ごします。
そして、この7つのボタンには、それぞれ役割があります。
1つ目のボタンは、「創造と美のボタン」。
このボタンが見事な人は偉大な科学者や偉大な芸術家、偉大な魔法使いになることが多い、と信じられています。
2つ目のボタンは、「思考のボタン」。
3つ目のボタンは、「健康のボタン」。
4つ目のボタンは、「愛情のボタン」。
5つ目のボタンは、「努力のボタン」。
6つ目のボタンは、「正直のボタン」。
最後の7つ目のボタンは、「陽気のボタン」。
ところが、ミナの服には、両親のちょっとしたミスにより、7つ目の「陽気のボタン」がないことがわかります。「陽気のボタン」がないミナは、ボタンが欠けていることに対して陰口を言われたり、同情されたりするたびに、ふさぎ込みがちになり、一人で過ごすことが多くなります。この少女ミナが、他の人との違いをなくしてもらうため、遠い島にいるという魔法使いを訪ねる旅に出ます。この旅の道程には、数々の難問が待ち受けます。そしてこの難問を乗り越えながら、魔法使いから7つ目のボタンをもらう、という冒険を通して、ミナが大きく成長する物語となっています。
また、途中に遭遇する難問の数々は、作者の山口さんが、シカゴ大学の社会学科長とのこともあり、「囚人のジレンマ」「共有地の悲劇」「予言の自己成就」「アイデンティティ」「統計の選択バイアス」「事後確率」等といった社会学や経済学上の有名な問題をモチーフにした社会科学ファンタジーにもなっています。
プロジェクト・メンバーの一員として、業務をするために必要な思考・行動の能力の指標として、「コア・コンピタンシー」が必要であることがいわれていますが、そこには、達成力、分析的思考力、抽象化能力、柔軟性・・リーダーシップ等が挙げられています。ところで、その中には、「陽気のボタン」・・「陽気さ」「機嫌良さ」等というものが入っていることはおそらくまだないのでは、と思います。しかし、プロジェクト・チームを組成し、またプロジェクトを推進する上では、この「陽気さ」の観点、とても大切なのではないか、と思っています。
近年、プロジェクトを含む職場の多くにみられる現象に、「不機嫌な職場」(*2)というものが増えているといいます。「不機嫌な職場」とは、お互いが関わりあえない、協力しあえない職場のことをさします。この10年余で、業務における専門性が高まり、また、個人毎の成果主義が進んだ結果なのでしょうが、各人が自分の仕事で手一杯で、お互いに相手のことに思いをいたす余裕がなく、全員が息苦しくなっている。
その様子は、「これだけ自分は忙しい思いをしているのに、誰もわかってくれない。声を掛けてくれない。声を掛けられない。相談できない」「同時に、自分も周囲の仕事がよくわからない」というように最初は被害者感情が生まれます。その次に、「助けて欲しいときに、誰も気づいてくれなかった。声をあげたのに、手伝ってもらえなかったという経験」を繰り返すと、「学習性無力感」なるものに陥り、関係も持つことを拒否しはじめる。
足元の仕事は、部分最適の個人作業のみで遂行できたとしても、個人としては孤立して潰れ、組織としては機能不全となる。
この「不機嫌な職場」を解消するためには、人間関係の関係性を回復し、協力し合う関係を再構築することが喫緊の課題となっています。
そして、このとっかかりが、プロジェクトや職場における「陽気さ」「機嫌の良さ」の回復になるのでは、と考えています。
「陽気さ」の観点を、より積極的に捉えているのが、齋藤孝さんの「上機嫌の作法」(*3)です。齋藤さんの発見は、「本当にできる人は上機嫌である」ということ。
不機嫌さというのは、「なんらかの能力が欠如しているのを覆い隠すため」である、とキッパリ指摘されています。
そして、同様のことは、ニーチェやゲーテも同じことを言っているといいます。
哲学上の問題として、近代的自我の不機嫌さ・不条理さが世に蔓延したことに対して、
「近代ロマン主義は、必要以上に自分の病的な部分を拡大して見せ、深さとして表現します。ですが、それは深さではなく健康さが足りないだけのことだとゲーテはいいます。ギリシャ、ローマにあっては、すべての芸術は力強く、健康だった。」
だから、「不機嫌沼」から抜け出して、上機嫌になろう。そして、そのために、上機嫌を「技(わざ)化」しよう!といいます。人と一緒にいる間は、楽しい時間を過ごすようにお互い努力すること。
「その場は、自分を含めた一人ひとりのからだの延長です。場にいる者は、沈滞した空気に対して、当事者としての責任がある。」
だから、円滑なコミュニケーションのための手段として、「上機嫌」な状態を自分の「技(わざ)」にすることを提唱されています。
「陽気さ」や「上機嫌」を能力として認識し、捉えるのであれば、筋肉同様、訓練によって身につけ、伸ばすことができるだろうし、「運動と同じで、訓練を続けると、上機嫌の筋力がついて、こころの稼動範囲が広がり、上機嫌が生活に占める割合が増えるのです。」「持久走を続けているうちに走る距離が伸びていくように、上機嫌の飛距離が伸びるのです。」
最後に・・冒険の末、7つの目の「陽気のボタン」を手に入れた少女ミナは、大きな発見をします。それは、この7つ目のボタンは、「勇気のボタン」でもあったこと!
魔法使いカズの言葉は、大人にとっても大切なものでした。
ところで、なぜ「陽気のボタン」が、「勇気のボタン」につながるのか?
それは、将来に対する希望にあるのでは、と思います。
未来に対する希望があれば、現在の困難にも、陽気に耐えることができ、勇気を持って前へ進むことができるのだから。