情報システム学会 メールマガジン 2009.4.25 No.04-01 [10]

連載 情報システムの本質に迫る
第23回 情報化は 「畳長化」 !

芳賀 正憲

 慶應大学文学部の山内志朗教授が、「畳長さ(冗長さ)」の重要性を強調されていることを情報システム学会の伊藤重隆理事からお聞きし、さっそくその著書「哲学塾 <畳長さ>が大切です」を読みました。関心をもったのは、今日よく知られているように、情報システムの世界で、データベースの正規化・集中化がシステムの柔軟性を向上させるためにとった対策であるにもかかわらず、逆に「複雑さ」を高め、管理コストの増大をもたらし、結果として分散化を図らざるを得ないという事実があるからです(電気学会技術報告第782号参照)。
 また、メルマガの2月号、3月号で述べたように、社会主義社会が市場原理の導入を必要とし、自由主義・市場主義を標榜する社会も、政府のある範囲の規制が不可欠であるという現実、さらに、ソフトウェア工学的にもモジュール構造として、オーバヘッドを減らすため各モジュール間のコントロールの移転は可能な限り許容しながら、全体の最適性を保つために、親モジュールによるコントロールが欠かせないということも、「畳長さ(冗長さ)」がいかに重要な概念であるかを示しています。
「哲学塾 <畳長さ>が大切です」は、ある意味、画期的な書物です。第1は、スコラ哲学を専攻する哲学者が、情報システム学が対象とする領域に本格的に分け入って、「畳長性(冗長性)」という統一概念で全体の説明をしようとしていることです。
 第2はスコープの広さです。その範囲は、情報理論やシステム工学、言語技術やコミュニケーション、経営ビジネス、生物の多様性や存在論にまで及んでいます。取り上げている概念も、賢慮(フロネーシス)(今道友信先生が情報システム学会の創立総会で話された徳目の1つ)、言語技術(レトリック)、サイバネティックス、情報量、シャノン=ウィーバーの理論、PDCA、野中郁次郎先生たちのSECIモデルなど、情報システム学会でも注目してきた諸項目が論じられ、説明はありませんが言葉としてはオートポイエーシス、アフォーダンスも顔を出しています。
 第3には、語り口の面白さです。山内教授自身、落語を愛好していて、「落語はなぜ面白いのか」という一章(実際には講話形式で第2日)が設けられてコミュニケーションの多層性が論じられ、次の章では、名人の落語のような習熟した<藝>をテーマにして畳長性(冗長性)の説明がなされているくらいです。全体のトーンも、ギャグ続出の落語のノリで、むずかしい内容を一気に読み進めることができます。

 ここで「畳長性」という用語ですが、通常は「冗長性」と書くところです。しかし「冗」に「むだ、余計、わずらわしい」などの意味があることから、「畳長性」のような大事な概念が「むだ、余計」とはとんでもないということで、4画が3倍の12画になる畳長さをいとわず、「畳長性」と表現することを提唱されています。なお、「畳」は旧字体「疊」では22画にもなりますから、昔の人は大変だったと思いますが、幸い今はワープロで単語登録すれば、どの字を使っても効率は変わりません。おそらく同様のこだわりから、山内教授は「芸」についても「藝」を使われています。

 フロネーシスについては、メルマガの2008年7月号で、専門職大学院教育、大学の一般情報教育、それに経営学などに活かされている事例を述べました。学士会会報2007年7月号で、東大の伊東乾准教授はフロネーシスを「自分をも含めた共同体全体としてのポリスの善を考察する」自己関係的な知の概念とされています。
 山内教授は、「誤謬や失敗を予め見込んだ上で、最小限の損失に抑えようとするのが、伝統的には「賢慮」と言われているもの」で、ギリシャ語では「プロネーシス」であると説明されています。そのあと、「現在「失敗学」が注目を浴びているが、哲学では昔からそれを考え続けてきた。ギリシャ哲学には基本発想において応用可能なものがたくさんある」という主旨のことを述べられています。拳拳服膺(ふくよう)すべき言葉です。

 畳長性の最初の説明は、誤謬の自己訂正機能をもつ畳長記号の存在理由から始められています。畳長記号とは、情報のインプットや処理、伝送などでエラーがあったとき、それを発見し修復するためにコードやビット列に付加している、情報システム関係者にはおなじみの記号です。英語の文章は約50%が畳長だそうですから、もともと自然言語において、人類はずいぶん念の入ったリスク対策を講じているものです。

 確率だけを考えた情報理論では、畳長性の概念はすでによく定式化されています。
 情報源の1記号当たりの平均情報量をHとし、Hの理論的な最大値をHmaxとすると、H/Hmaxが効率になり、
畳長度は、(1−H/Hmax)で表されます。

 一般的には畳長性の実現には、次の4つの方法があるとされています。
(1)同一のメッセージを1つの回線に何回も流す(反復)
(2)回線を多重にする(並列)
(3)回線に流す文字種を限定する(限定)
(4)受け手がすでに知っていることを伝送する(既知)

 (3)のように文字種を限定することは、上の式でHを下げることになり、畳長度が高まります。(4)の、受け手がすでに知っていることを伝送する方法が、最近振り込め詐欺に利用されているのは遺憾なことです。人間がインプットされた情報の畳長性をもとに、欠けた内容を修復する能力をもっていることが悪用されているのです。
 上記4原則をベースに山内教授は、視覚より聴覚のほうが畳長であり、生命の維持の最後の防衛装置である触覚は、感覚の中で最も畳長性が高いと評価されています。メルマガの2007年8月号で述べたヘレン・ケラー女史の偉大な事績は、感覚のもつこの特質によっているのではないかと考えられます。

 英語について畳長度50%とされていますが、それ以外に、人間はコミュニケーションを効果的なものにするため、実に多様に畳長性を活用しています。通常は、言語だけでなく非言語によるコミュニケーションも併せて、あるいは独立して行なっています。姿勢、身振り、表情などのボディ・ランゲージ、声の大きさ、抑揚、沈黙、発話速度、声色などのパラ言語、それに服装、対人距離、家具、インテリアなども、山内教授は非言語コミュニケーションの例として挙げています。初対面における評価など、言語の内容によるのはわずかで、大半は非言語の要素によって決まってくるという統計データがよく報告されています。
 人間は、コミュニケーションに加えて、メタコミュニケーションも行なっています。メタコミュニケーションというのは、コミュニケーションの内容に言及したコミュニケーションです。これにも、言語と非言語の両側面があります。山内教授の挙げられた例では、「君の話は長たらしいね」と言うのは言語で、腕時計を見たりあくびをするなどの行為は、非言語のメタコミュニケーションになります。

 畳長性を活かしたコミュニケーションの方法論として、レトリック(修辞学、言語技術)は特に注目すべきものです。レトリックについては、すでにメルマガの2008年6月号で、1世紀にローマの教育家クインティリアヌスによってまとめられた次のような標準プロセスを紹介しました。

(1)発想:主題をめぐる問題点を見つけだし、それにふさわしい論証の材料や方向を探し出す技術
(2)配置:発想によって見出された内容を、適切な順序に配列する技術
(3)修辞:前の2段階で整理された思想内容に、効果的な言語表現を与える技術
(4)記憶:口頭弁論のために、仕上げられた文章を記憶しておく技術
(5)発表:実際に公衆の前で発表するための、発声、表情、身振りなどの技術

 山内教授は、上記より早い紀元前1世紀の哲学者キケロの体系によっていますが、5項目の内容は同じで、キケロの場合、記憶と発表の順番が入れ替わっています。
 山内教授の説明により目を開かされたのは、ローマ時代、文書が存在していたにもかかわらず、データの加工、検索、可塑性において人間の記憶に適うものはなく、人間の記憶は記憶装置として最も優れたもので、文書による記録より信憑性をもっていたということです。レトリックは、そのような記憶にもとづく声の文化の技藝として存在していたのです。活版印刷術の登場によって声の文化は大きく後退するのですが、20世紀以降マス・メディアの発達により、声の文化の復権を期すべきことが、マクルーハンによって提唱されました。

 レトリックは、言葉の姿に宿る働きを突きつめる学問として位置づけられます。その働きは、事実的な意味そのものというより、その意味を畳長性によって強化し、美しさと説得力をもたせるものです。
 20世紀の後半、ベルギーの研究者たちによって著された「一般修辞学」という本が、山内教授によって高く評価されています。この本により、畳長性の積極的な機能が整理され、レトリックの意義が再認識されることになりました。
 この本の中では、「偏差」という新しい概念がもち込まれています。偏差というのは、言葉の正常な用法からずれたものすべてを指し、まちがいもそうですが、新しい表現も偏差です。偏差が生じても理解ができるのは、言語に備わる畳長性が偏差の自己訂正を可能にするからです。このことから、新しさ、あるいは多様性が受容されるための条件を準備するという、畳長性の創造的な機能が認識されることになりました。

 生命現象にはゆらぎがあり、また経営組織のメンバーの思考にもゆらぎや誤謬があります。これらはすべて偏差と見なされます。そのような偏差を受容し、生物の多様性や経営組織の発展の条件を準備することも、畳長性の普遍的な意義として理解されます。

 畳長性概念の有用性を示すものとして、この本の最後に紹介されているのが野中郁次郎先生たちのSECIモデルです。SECIモデルについては、メルマガの2007年12月号に述べていますが、共同化、表出化、連結化、内面化のサイクルを繰り返しながら、組織的に知識創造を進めていくプロセスです。
 野中先生たちは、このような知識スパイラルを促進するための要件を5つ挙げていますが、その中の1つが畳長性です。また野中先生たちは、暗黙知を形式知に変換する知識創造の3つの特徴としても、第1に比喩や象徴の多用、第2に個人の知の、他人との共有、第3に新しい知識は曖昧さと畳長性のただなかで生まれることを挙げられています。
 なお、知識スパイラルを促進するための5つの要件のなかに、最小有効多様性があります。これは、複雑多様な環境に対応するには、組織は同じ程度の多様性をその内部にもたなければならないとするもので、アシュビーの法則と呼ばれています。組織が一定の多様性をもつためには、それに匹敵する畳長性が準備されなければなりませんから、ここにも畳長性が関わることになります。

 最後に、山内教授の所説に啓発されて、別の観点から畳長性の意味と、どのようにして適切に畳長性をつくり出していくか、ということを考えてみます。想起されるのは、旧ソ連で開発された創造的問題解決技法TRIZです。
 TRIZのアルゴリズムは、次のように示されています。
 (1)最小問題の選定
 (2)システム対立の定義
 (3)対立領域とリソースの解析
 (4)理想解の定義
 (5)物理的矛盾の定義
 (6)物理的矛盾を除去する手法
 ((7)最小問題の再定義)

 社会主義国で生まれた問題解決技法だけに、弁証法的に問題をシステム対立あるいは矛盾が存在する状態として定義し、問題解決とは矛盾を除去することとしています。
 対立や矛盾の除去方法として、次の3つが挙げられています。
 (1)反対の特性を時間で分離する
 (2)反対の特性を空間で分離する
 (3)反対の特性をシステムとその構成要素とで分離する

 このように反対の特性を分離するということは、時間的、空間的、システム的に畳長性をつくり出していっていると見なすことができます。すなわち畳長性とは、現状の問題および将来のリスクに対するソリューションが、時間的、空間的、システム的にもれなく埋め込まれた状態のことです。これを「冗長」と見たのは、きわめて狭い観点だったことが分かります。
 以上のことから、メルマガの2月号、3月号で述べた社会主義市場経済や閉モジュール構造と開モジュール構造の共存は、決して不合理なアプローチではなく、むしろ必然的な解と言えるのではないかと考えられます。

 山内教授からは、今後直接教示を受ける機会が得られればと期待しています。

 この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。皆様からもご意見を頂ければ幸いです。