情報システム学会 メールマガジン 2009.4.25 No.04-01 [7]

連載 著作権と情報システム 第2回

司法書士/駒澤大学 田沼 浩

1.著作物

[1]なぜプログラムが著作権法によって保護されるようになったのか

 著作物とは、思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう(著作権法第2条第1項第1号)。「思想又は感情」とは、哲学的、文芸的、学術的なものなどを示すのではなく、判例や通説では単に「人の考えや気持ち」を意味しているに過ぎないと考えられている。著作権法は特許法と同様に、文化の発展に寄与するような人間の創造的活動により生み出されるもの「人の精神的な活動の成果」を保護する法律(創作法)である。そして、それは具体的に表現されて始めて保護対象となる(思想・表現の二分論)。ソフトウェアやプログラムについて著作権を考える場合、技術的思想を具現化したものも多い。ただし、著作権は技術的思想を表現したものを保護するのであって、技術的思想自体を保護するのではない。技術的思想を保護するものとしてまず思いつくのは、特許法である。近年、特許庁の「特許・実用新案基準」や「ビジネス方法の特許に関する対応方針」によって、プログラム特許やビジネス方法(ビジネスモデル)に関する特許が認められるようになった。また、プログラムは著作権法だけではなく、特許法、商標法、不正競争防止法、民法の不正行為(法)によって保護しようとする傾向は強くなっている。それだけを考えても、プログラムは言語を使いながらも文学作品などのような言語著作物と異なる経済財としての特殊性を有し、異なる取り扱いを必要とすることがわかる。

 ではなぜ、プログラムが著作権法によって保護されるようになったのか。数十年前までプログラムはコンピュータを動かすためのハードウェアの付属物として考えられてきた時期もあったが、より複雑な処理が求められるに従って、ソフトウェアは「独自の経済的価値を有する商品(経済財)」としての地位を確立していった。ソフトウェアの汎用性が高まるに連れて、ソフトウェアはハードウェアから離れて独自の経済的価値を高め、単なるソフトウェアの開発などにとどまらず、「情報システム」として社会的な地位を得るに至っている。その一方、ソフトウェアがハードウェアから離れて独自の経済的価値をもったことで、複製物を無断で使用するなど不正が横行するようになった。そして、そのソフトウェアの複製物が流通することで被害も拡大して行った。物理的な要素が大きいハードウェアに比べて、ソフトウェアの複製は極めて簡単にできる。多大な費用、労力と時間をかけて開発されたメインフレームもコピーして使用すれば、一部を修正するだけで大きな開発リスクを負わないで大きな利益を得ることも可能となる。だがそれは、ソフトウェアを開発した者の経済的な利益を著しく侵害するものである。ソフトウェアを開発する規模も大きくなれば、それだけ損害も大きくなる。そのようなタダ乗り(フリーライド)を自由に許せば、誰も多大な費用等をかけてソフトウェアを開発する者はいなくなる。とは言っても、ソフトウェアを使用(利用)させること、すなわちソフトウェアを流通させることで莫大な利益も生じるため、ソフトウェアを流通させないまたはそれを制限することは、ソフトウェアの開発促進、利用促進、重複投資の防止への阻害要因となることから経済的な損失は計り知れない。また、ソフトウェアの利用と流通はかい離しているため、一度ソフトウェアが流通すると正確に利用状況を把握することはできない。

 昭和47年5月通産省(現、経済産業省)重工業局ソフトウェア法的保護調査委員会はソフトウェアの活発な流通と効率的な情報化の整備を目的に、登録制度、形式審査主義、プログラム概要書の公開、仲裁または調停制度、短い保護期間(10年)を提唱していた。一方、文化庁は昭和48年6月著作権審議会第二小委員会において検討を始めている。特許庁は昭和50年「コンピュータ・プログラムに関する発明についての審査基準」を発表してハードウェアと一体となったソフトウェアに特許が付されることを明確にした。昭和40年代後半から昭和50年代半ばまで、ソフトウェアの法的保護に関する検討・論議はされていたが、大きく表面化した問題とはなっていなかった。ソフトウェアに関する法的保護を取り扱った事件で明確な判断は、東京地裁昭和57年12月6日判決(スペース・インベーダー・パートII事件)まで待たなければならない。ところが、昭和57年日立・IBM事件(IBM産業スパイ事件)、富士通・IBM事件が発生によって事態は一変する。これらの事件がテレビや新聞などマスコミの報道によって連日取り上げられ、国民の注目を集めたことで、ソフトウェアの法的保護の問題は立法化への道を進み始める。
昭和58年12月、通産省の産業構造審議会情報産業部会は中間答申を発表し、通産省はプログラム権法の立法化作業を始めた。一方、昭和59年1月文化庁の著作権審議会第六小委員会も中間報告を発表し、プログラムを著作物として認め、著作権法が適用されることを示した。

 このようにソフトウェアに対して全く異なる案が通産省と文化庁から提出されたが、結局、アメリカがプログラムを著作権として保護していたことから、文化庁案が採用されることとなった。中山信弘東大名誉教授は「その均等を打破したのは(アメリカによる)外圧であった」、「この問題は日米貿易摩擦の象徴的存在とされてしまった」が、結局「それは日米貿易不均衡を何ら是正するものではない」と述べている。にもかかわらず、通産省案ではなく、文化庁の著作権法改正案が昭和60年6月に成立し、翌年から施行されることになった。
 次号以降では、上記通産省案について考察し、内容について検証する。

引用・参照文献

・著作権法概説第13版、半田正夫著、法学書院、2007年
・著作権法、中山信弘著、有斐閣、2007年
・ソフトウェアの法的保護(新版)、中山信弘著、有斐閣、1992年
・岩波講座 現代の法10 情報と法、岩村正彦、碓井光明、江崎崇、落合誠一、鎌田薫、来生新、小早川光郎、菅野和夫、高橋和之、田中成明、中山信弘、西野典之、最上敏樹編、岩波書店、1997年
・雲を掴め 富士通・IBM秘密交渉、伊集院丈、日本経済新聞出版社、2007年
・著作権判例百選(第三版)別冊ジュリスト、有斐閣、2001年