情報システム学会 メールマガジン 2009.3.25 No.03-12 [7]

連載 プロマネの現場から
第12回 システム構築における 「トリアージ」

蒼海憲治(大手SI企業・金融系プロジェクトマネージャ)

 3月も末、春を間近に迎え、数年前から国家的なリスクの1つとなっているパンデミックの危機ですが、今年は無事に回避することができたのでしょうか。
 先日見た映画「感染列島」は、このパンデミックの世界を見事にシミュレートしています。2011年のお正月、パンデミックが日本を襲います。感染から一週間足らずで、数千人が亡くなります。ライフラインは破綻・・新種のウィルスはなかなか発見されず、発見された後も、感染経路は特定されない。さらに、感染源が分かってからも、治療法の確立までに時間がかかります。全国民の3分の2が罹患し、1千万単位の人が死に至る・・映画のため、WHOの予測よりも誇張されているきらいはありますが、万一実現した場合、悪夢といえばこれほどの悪夢はないかもしれません。
 最近のセミナーのお知らせ等を見ていると、パンデミックを取り上げ、各企業においてのパンデミック対策のためのビジネス・コンティンジェンシー・マネジメントのあり方やそのマネジメント・プランを考えるものもあり、関心が高まっていることを示しています。
 ところで、この映画「感染列島」の描く悲惨なパンデミックの世界の中で、特に印象に残ったのは、病院に大挙して押し寄せる患者に対して、圧倒的に少ない医師・看護師・医療機器・施設等のリソース・・この状況下で、誰を治療し、誰を治療せずにおくか、という「トリアージ」が実践される姿でした。

 この「トリアージ」、映画鑑賞後ずっと心に引っかかっていたため、高橋章子編「救急看護師・救急救命士のためのトリアージ」(*1)を手に取りました。
 「トリアージ」という言葉の由来は、フランス語のtrier(分別する、選り分ける)によります。そこから、「傷病者など治療を受ける必要のある人々の、診療や看護を受ける順番などを決定する診療前の一つの過程である」と定義されます。緊急度と重症度の判断基準を基に、限られた医療資源を最大限に活用して、傷病者の救命に最大効果を上げるための技術・システムである、といいます。
 「トリアージ」を行う目的には3つあります。

  (1)治療不要な軽症傷病者を除外すること
  (2)救命不可能な患者に時間や医療資源を費やさないこと
  (3)緊急性の高い患者を選別し、搬送・治療の優先順位を決めること

 3つ目のトリアージの判定・優先順位づけの結果は、後工程の医師や看護師に伝えるため、トリアージタッグという色別の識別表によって表されます。
 そして、トリアージタッグの色は、4つにわかれています。
  赤 危機的状態で直ちに処置が必要
  黄 数時間処置を遅らせても生命に影響なし、歩けない
  緑 軽度外傷、歩行可能、通院加療で可能
  黒 生命兆候がない
 赤・黄・緑・黒・・の紛れのない4つの色分け。万一、自分の肉親が災害に遭い、その身体にどのトリアージタッグがつけられているか、を知る瞬間を想像するだけで、胸がつぶれる思いがします。
 そして、このトリアージの判定とタッグづけは一度実施すれば終わりになるのではありません。
  Step1 現場のトリアージ
    search & rescueにより、災害現場の救助・救急隊員が行う
  Step2 救護所のトリアージ
    急搬送により救命の見込める患者の識別、
    緊急治療を要する患者の識別
  Step3 搬送のトリアージ
    搬送前の再評価、1医療機関に集中しないための効果的分散化
  Step4 病院のトリアージ
    各種制約下での根治的治療のためのトリアージ、
    後方搬送に備えてのトリアージ
というように、各ステップ毎の状況と傷病者の容体変化を踏まえた上で、適切な「トリアージ」を行う必要がある、となっています。

 それでは、システム構築においてはどうでしょうか?

 「トリアージ」が行われる現場という点で連想されるのは、実際、救急・救命医療の現場と類似している、本番障害の現場であり、次に、バーストしたプロジェクト、それに対処するための「リスクマネジメント」だと思います。
 そして、「リスクマネジメント」プロセスにおいても、定量的・定性的なリスク分析により、重要度をつけて、優先度の高いリスクに対して「リスク対応計画」を策定し、対応・実施することが必要とされています。
 しかし、救命・救急現場における「トリアージ」の判定と「トリアージタッグ」による厳然たる識別を思うと、システム構築の現場が「トリアージ」から学ぶべきことは、徹底した「優先順位づけ」の大切さである、と思います。

 システム構築における「優先順位づけ」を考えさせられる特徴的な例として、システム開発の要求事項抽出における「2423の法則」があります。
 ベンダー側の立場からみた要求事項の数を見た場合、

  ・RFP等の契約段階では、規模・金額は「2」の要求が出ているとします
  ・ところが、要求分析段階を進めるうちに顧客の要望は膨らみ、「4」となります
  ・当然、ベンダー側は追加費用を要求しますが、顧客側は「2」しか払わないといい、いったんは要求仕様の絞込み等喧々諤々の調整が行われます
  ・最終的に、顧客側は追加予算を組み、「3」の費用を支払うことになります。   顧客側は当初予算が「2」から「3」へ増えたことを不満に思い、ベンダー側は「3」の費用で「4」の作業量をさせたれたことに不満を持つというものです。

 要求事項が「2423の法則」にしたがってしまうのは、

  ・顧客にとって、業界常識・自社の常識・業務の常識であり、説明するまでもなくわかっているはず、と他意なく説明をはしょってしまう暗黙知が、ベンダー側にとっての理解の壁になることがあること。
  ・また、業務知見やシステム知見のあるといわれる有識者が最初からすべてを提示できるわけではないこと。
  ・そして、前の2つの理由以上に、まだ上流工程であるため要求事項をすべて詳細に出す必要がないと顧客・ベンダー双方が思っていること

が、大きな理由であると思います。
 「2423の法則」によって肥大化するのは、「機能」や「スコープ」だけではなく、「品質」「納期」「コスト」に対する要求も同様です。これらの要求は互いにトレードオフの関係にあるため、すべてが最優先のプロジェクトは失敗する・・いや、大失敗する、といわれますが、その通りだと思います。

 そのため、システム構築の現場においても、「要求のトリアージ」という考え方が必要になる、と考えます。
 実は、システム構築においての「トリアージ」の重要性について明快に指摘されている先人がいます。それはエドワード・ヨードン氏で、ヨードン氏曰く、
 「チームがたった一つ言葉を覚えるとすれば、それは「トリアージ」だ」(*2)、と。
 「ソフトウェア・トリアージ」を行うためには、自分が構築しようとしているシステムの「目的」を明確にすること。優先すべきは、機能なのか? 品質なのか? コストなのか?。また、どの機能を優先すべきなのか、を問え。そして、各々工程における選別のための基準を持つ必要がある、と。

 ところで、優先順位づけの大切さは、誰しも理解していることだと思います。その一方で、それが様々なステークホルダーからの言い分を聞いているうちに、なかなか実現できないのも現場での悩みであると思います。

 救急救命の現場の「トリアージ原則」においては、
   生命 は 四肢 に優先し、
   四肢 は 機能 に優先し、
   機能 は 美容 に優先する
  つまり、
   生命 > 四肢 > 機能 > 美容
の原則があること。極端な場合、トリアージ担当の医師や看護師らは気道確保と止血以外の医療は行わない、といわれます。この厳然たる優先順位づけを見て、正直驚くとともに、いままで、ここまでシビアな優先順位づけを考えたことがあったか、と自問自答すると、決してそうではないことに気づかされます。日頃から、トリアージの基準を整理し、実戦を通してたえず改善を進めていくことが大切である、と思います。

 最後に、パンデミックの世界で私たちはどう生きるか?
 映画のラストでの主人公の医師の答えはこうでした。

  「たとえ明日、地球が滅びるとも、
   今日君は、りんごの樹を植える」

 システム構築の現場においても、かくありたいと思います。

(*1)高橋章子編「救急看護師・救急救命士のためのトリアージ」(エマージェンシー・ケア 2008年夏季増刊)
(*2)エドワード・ヨードン「デスマーチ 第2版」