SEの職場が、3Kとか7Kと言われるようになってすでに久しく、最近ではさらにエスカレートして42Kとする人まで現れました。今月開催された人材育成関係のあるフォーラムでは、これに反発して、「業界の負のイメージを定着させ深刻化させるので、われわれ関係者はこの言葉を一切口にしないようにしよう」という発言がありました。
しかし企業の採用担当者には周知のことですが、少なくとも20年以上前からさまざまな表現で、学生の間に同様の認識は広まっていました。事実としてそのような認識があるのですから、関係者としてはそれを口にしないのではなく、むしろ積極的にアンチテーゼを提示して打開に努めるべきでしょう。
興味深いのは、いわゆる言霊思想(この連載の第3回参照)がよく表われた上記の発言をした人が、外資系企業の最先端のIT研究者だったことです。学会の総会で佐伯胖先生が言われた、いかに「人は文化の中で学ぶ」かを体現する事例になっています。
SE職場の実態とこれからのあるべき方向については、本年4月から連載の始まった蒼海憲治氏の「プロマネの現場から」が多くのことを教えてくれます。今月号の「ソフトウェアにおけるオフショア開発への取り組み」から示唆される今後のSE像は、ずばり「国際的な活躍が期待されるプロフェッショナル」でしょう。これは他の多くのSE問題の解決を図るのに十分な、ジョブ・アイデンティティになると思われます。
言うまでもなく、IBMやSAP、マイクロソフト、オラクル、グーグルなどのSEは、当初からその成果が国際的でした。近年は、途上国のSEも国際的な市場で活躍しています。それに対してわが国の情報システム産業は、多くのソフトウェア製品や技術を海外から輸入しながらも、市場はほとんど国内に限ってきました。ガラパゴス化を懸念しなければならない所以です。
それでは、わが国のSEが今後国際的な活躍をしていくために、どのような能力を伸ばす必要があるでしょうか。
この連載の5回目で、情報システムの概念構成(案)として、次の7階層を示しました。
(1)理念(哲学・倫理)層
(2)コントロール層
(3)インテグレーション層
(4)ソリューション層
(5)モデリング層
(6)言語(情報)層
(7)物理層
7階層の中で、わが国では物理層に対する認識は比較的よくできています。コントロール層からモデリング層も、優れているとは言えませんが、それなりの認識はあります。しかし、哲学・倫理層に関しては、ほとんど概念形成ができていません。雲の上にあって見えないような状態になっています。また、言語層についても、同様です。基盤として地下にあるので見えないのかもしれません。そこで日本のSEが国際的に活躍するためには、7階層の中で特に哲学・倫理層と言語層の能力を向上させることが必須であると思われます。
このうち哲学については5月号のメルマガで、要素数が105をはるかに超える膨大・複雑な世界の構造を人間の小さな頭脳に効率よく収めるため、初等中等教育段階から生活の知恵としての「哲学的」思考法を学んでいく必要があることを述べました。一方、言語層の能力―言語技術については、すでにわが国でもさまざまな取り組みが進められています。
90年代から民間で地道な活動を続けてきたのが、つくば言語技術教育研究所長の三森ゆりか氏です。父が新聞社の特派員だったため中学、高校の4年間をドイツで過ごした三森氏は大学卒業後商社に勤めたのですが、英語が堪能な上司や先輩が外国人と論争すると、惨めに負けてズルズルと譲歩していくのを何度も見て、語学力より論理的思考力、情報分析力、客観的表現力、批判的な判断力に大きな差があることに気づき、大学院に進んで言語教育を専攻、90年に日本の子どもたちに言語技術として日本語を教える教室を開設したのでした(日経新聞夕刊2002年4月26日)。
三森氏の活動に着目したのが、日本サッカー協会です。協会では、日本サッカーの最大の課題は何か、それは選手個人が自分で判断する力が外国選手に比べて弱いことだ、
その判断力の基礎になるのが論理力と言語力であり、その力は子どものときからの教育で決まってくると考えました。そこで、全国から優れたサッカー少年を集めて開校したJFAアカデミー福島に三森氏を招いて言語技術教育を始めました。サッカー協会では、指導者や代表選手の教育も、三森氏に依頼しています(専務理事・田嶋幸三氏の講演および著書『「言語技術」が日本のサッカーを変える』による)。
学校関係では、私立の麗澤中・高等学校が文科省の「研究開発校」の指定を受けて「言語技術科」を新設、三森氏の指導を受けながら言語技術の教育課程、指導方法及び評価方法についての実践研究を進めています。現在三森氏は、全国各地の指導者の教育にも従事しています。
5月の学会の総会で佐伯胖先生が、フィンランドの子どもたちが国際的な学習到達度調査(PISA)で高順位を占めるのは、共同で問題解決をする訓練をしているからだとお話されました。そのフィンランドの教育方法を日本に紹介しているのが外務省に勤めていた北川達夫氏です。ヘルシンキ大学で学んだ北川氏は、90年代フィンランドの日本大使館に足かけ8年勤務、その間に同国の、子どもたちに「考えさせる教育」に魅せられ、帰国後退官、フィンランド人の専門家について母国語の教科教育法、教材作成法を学び、フィンランド・メソッドの紹介を始めました(日経新聞朝刊2008年6月4日)。PISAで日本の子どもたちの成績が振るわないこともあって、フィンランド教育への関心も非常に高まっています。
三森氏の場合も北川氏も、ベンチマークとされているのは欧米における母国語の教育法で、その点は両者共通です。欧米では、実に2000年以上にわたる言語技術教育の歴史をもっていて、その技術はレトリックと称されています。
レトリックとは、英英辞典の簡潔な説明では、(THE ART OF)GOOD SPEAKING AND WRITINGです(IDIOMATIC AND SYNTACTIC ENGLISH DICTIONARY)。わが国では、修辞学と訳されたり、弁論術として伝えられたりしましたが、それらはレトリックの1側面しかとらえていません。
レトリックは、ギリシャで発祥、ローマ時代にはすでに標準体系が確立していました。中世から近代にかけて、ヨーロッパにおける中等教育の中で一般教養の仕上げの役割を果たす重要科目でした(平凡社世界大百科事典)。
1世紀に、ローマの教育家クインティリアヌスによってまとめられた標準体系は次のようなプロセスになっています。
レトリックが修辞学または弁論術として定着したのは、標準体系のうち表面に現れた(3)以降にのみ注目したからではないでしょうか。他の多くの概念を外国から移入したときと同様、思考の領域であり基本として重要な(1)(2)は、見過ごしてしまった可能性があります。
レトリックは、思考とコミュニケーションの技術ですが、欧米では今日の情報システム発展の前に、2000年以上にわたる思考とコミュニケーションの技術の体系化と教育の歴史がありました。それと対照的に、わが国のほとんどの社会人は、客観的な技術として、レトリックの概念より先に情報システムに接することになりました。このことは、わが国の情報革命を遅らせ、また必ずしも今日、情報システムが十分な効果を挙げ得ていない要因になっていると考えられます。
レトリックがギリシャ時代に始まったのなら、哲学との関係はどのようになっていたでしょうか。
5月号のメルマガで代表的な哲学者としてプラトンとアリストテレスを挙げました。そのプラトンと同時代に生きて、最大のライバルだったのがイソクラテスです。プラトンが紀元前427年に生まれて同347年に80歳でなくなったのに対して、イソクラテスはプラトンの9年前に生まれ、プラトンの9年後に98歳でなくなっています。2人とも(特にイソクラテスは)、紀元前4〜5世紀という時代を考えるとき、驚異的な長寿を全うしています。後世の人類への貢献を考えて、神様が2人に長寿を与えたのでしょうか。
筑波大学名誉教授の廣川洋一先生によると、イソクラテスがアテネにレトリックの学校を設けて数年後、同じアテネの近郊にプラトンの学園アカデメイアが建てられ、両者は「哲学」(ピロソピアー)の理念をめぐって激しく対立することになりました。
プラトンが進めたのは、真理のための理論的探究であり、対象に対する体系的・方法的探究で、厳密な数理知識を求めました。それに対してイソクラテスは、言葉を練磨し育成することこそ人間が最も人間らしくなる方途であると考え、レトリックに熟達することにより、実生活の多くの場合において健全な判断をし、最善のものに到達できる、そのような人になることをめざしました。
今の私たちの目では、両者はスコープを異にしているのであり、2つのスコープは決して排他的ではなく、人間がこの世界で生きていく上でどちらも必要で、互いに補完しあっているように見えます。
それでは2つの「哲学」は、その後どのような推移をたどったのでしょうか。わが国では、プラトンの知名度が圧倒的に高く、イソクラテスはそれほど知られていませんが、西欧では特に人間形成(教育)の分野で、イソクラテスを源とするレトリック中心の教養が、ローマ、ルネサンスと受け継がれ、近世にまで大きな影響を及ぼしました。16世紀に成立したイエズス会が、教育プログラムの中心にレトリックを据えたのが決定的でした。この教育プログラムが、19世紀まで西欧、中でもカトリック諸国で、すべての中等・大学教育を支配するに至りました。レトリック中心の教養の体現者は「紳士」と見なされ、17世紀フランスでは人間の1つの理想像となりました(廣川洋一「イソクラテスの修辞学校」講談社学術文庫)。
「討論」という言葉は、明治の初頭、debateの翻訳語として福澤諭吉が作ったものですが、debateには「熟考」という意味もあります。また、argumentにも「議論」と「論証」の両方の意味があります。「討論すること」と「考えること」という、わが国では異なった2つの概念が同一の語で表わされているのは、明らかな文化のちがいというべきでしょう。
「人は文化の中で学ぶ」ものとすれば、国際的に活躍するプロフェッショナルを育成するため、私たちは思考とコミュニケーションのあり方にさらに思いを致す必要があります。
この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。皆様からもご意見を頂ければ幸いです。