学会のジャーナルに浦昭二先生が,ある大学にそれまでの工学の枠になかった学科が設立され,正課として初めてコンピュータ活用の専門教育が取り入れられた経緯を書かれています。この学科では「IE・HE」「経済・経営」「統計・OR」「計算機応用」を4本柱としてシステム思考のできるエンジニアの育成をめざした結果,4つの基礎分野が協調しあって期待通りの効果を発揮,多くの卒業生が今日情報社会のリーダとして活躍されています(情報システム学会誌Vol.2, No.1)。
情報システム分野におけるこのようにエクセレントな事例の存在は,「現場での応用に役立つ教育が行われていない」という,産業界からの厳しい指摘を受けている多くの大学と対照的です。ビジネスの世界では,類似の業種・業務で(ケースによっては類似していなくても)優れた成果を挙げている組織がある場合,ベンチマーキングをすることが通例になっています。もし大学で今までそれが行なわれてこなかったとしたら,そのこと自体きわめて問題です。
産業界では近年,MOT(技術経営)という概念が一般化してきましたが,学会や大学の学部・学科では今後MOS(Management of Study)を進めていくことが必要ではないでしょうか。産業界に役立ち,効果的な教育を可能にする,より価値の高い学問体系を創出するためのマネジメントです。物理学や経済学のような伝統的な学問に比べて,まだ群盲の撫でる象のような存在の情報システム学では,さらにその必要性が高いと思われます。
前回,情報システムの概念構成について,次のような試案を示しました。
(1)理念(哲学・倫理)層
(2)コントロール層
(3)インテグレーション層
(4)ソリューション層
(5)モデリング層
(6)言語(情報)層
(7)物理層
上記のある大学の教育が効果を挙げたのは,「経済・経営」で理念やコントロールについて,「統計・OR」「IE・HE」でモデリングやソリューションについて,「計算機応用」でコンピュータそのものや仕様言語・プログラミング言語・インテグレーションについて教えられるなど,教育体系としての階層構造が課題の構造に適合していたからではないでしょうか。それに対して,産業界からの批判の対象とされた多くの大学では,(推測ですが)物理層・コンピュータ言語層からのみの観点が強調され,理念からモデリングまでの論理層,中でもソリューション層の本質的な意味が十分伝えられていなかったことが懸念されます。このようなことからも,実務や研究・教育を進めていく上で,情報システムの概念構成の組み立てが,いかに重要であるかが分かります。
情報システムの概念構成で,レイアのちょうど中核に位置しているのがソリューション層です。ソリューションの原点は,「問う」という発想にあります。これはわが国と西欧で顕著な差のある発想の1つです。わが国では「問う」ということが今日でも普遍化していないのに対して,西欧では20数世紀に及ぶ歴史をもっています。西欧では,問いに対して答えを示し,その正しさを論証するという考え方で,対話や論文,さらにはビジネス文書の形式が成立し,問いに対して答えを求めるために問題解決技術が発展しました。
事態を認識して何らかの反応をすることは,犬でも人間でも変わらないのですが,人間の特質は,その事態がなぜ起きるのか,問いを発し説明を求める(原理を探求する)ところにあります。哲学者の今道先生は,このような問いをもったことが人間の文化の始まりになったと言われています(今道友信「西洋哲学史」)。
原理探求の始祖となったのが,紀元前6世紀頃のミレトスの人,ターレスです。彼は,水をもって万物の原理としました。すべての自然現象が水の自己展開で説明できると考えたのです。
原理のように,ものごとの背後にある見えないものを観ようとする考え方は,プラトンを通じて,イデアの概念を発展させました。イデアとは,もともと形という意味ですが,外見を離れて「それは何であるか」「そのものの本質は何か」という問いに答えるものになりました。人間なら,「言語を介して思考する理性的動物」です。いわば,精神の目で見られた「形」です。プラトンはさらに,ものごとのあるべき姿,永遠の理想の極,神的創造の原型になるものがイデアではないかと考えました。ここに,ものごとのあるべき姿,理想という概念が生まれました。
以後,問いとして「あるべき姿と実際の姿のギャップがなぜ生じているのか,ギャップを解消するにはどうしたらよいか」ということが強く意識されるようになり,今日ビジネスの世界では,「問題」は「あるべき姿と実際の姿との間の差異」として定義されています。
ものごとの実際の姿をあるべき姿にどのようにして近づけるか,アリストテレスの考えた論理構造があります(今道友信「エコエティカ」)。まず,Aを自分に望ましいこととします。次に,Aを可能にする手段を列挙します。列挙された手段のうち,最も容易で美しいものを選んで実行します。
評価の基準を多様化して重みづけすると,これは今日ビジネスの世界で最も一般的に用いられている意思決定の方法です。西欧でその淵源がアリストテレスにまで遡るのに驚嘆します。なお,アリストテレスに対して今道先生は,手段Pを所有するとき,Pによって可能になる目的を列挙し,その中から最も効果的な目的を選ぶという,新しい論理構造を提唱されています。
産業界では伝統的に仕事の進め方を,手順とそれを支える技法の2段階に分けて整理しています。わが国では経験・慣習によってそのようになったと考えられますが,今日の観点では,仕事のプロセスをクラスとインスタンスに分けたと見なすことができます。手順の方が一般的で,時代による変化が少なく,技法は分野により,また時間・予算・人手をどれくらいかけられるかによって,さまざまなものがあります。新しい技法も,次々と考案されていきます。
10年ほど前に出版された「クマのプーさんと学ぶ問題解決」(ダイヤモンド社)は,
一般的な問題解決手順を解説したものです。理科や算数の問題の解き方ではなく,問題解決一般を取り扱っているのが面白いところです。「だれでもが身につけるべき,とても重要なテーマ」として問題解決が位置づけられ,プーとともに,コブタ,トラー,フクロ,カンガなど,おなじみのメンバーがおじさんから問題解決を教えてもらいます。
わが国で21世紀になって開始された「総合学習」は,一般的な問題解決能力を高めるために設けられたと考えられますが,教員・指導内容などの態勢が整わず,今回大幅に時間削減されようとしているのは残念なことです。
トヨタのハイブリッドシステムの開発で,基本仕様の決定がモデルによるシミュレーションによって行なわれたことは前回述べました。ところが先々行試作車を走らせてみると,まったく動かないのです。複雑な原因を究明し40日後ようやく動いたのですが,500メートル走ってまた止まりました。
仕様は,あるべき姿を示しています。しかし実際には動かないのですから,あるべき姿と実際の姿の間に大きな差異,すなわち問題が発生しています。したがって,これ以降は問題解決プロセスとして進めていくことになります。
短工期要請の中,トヨタ自動車が実行した多くの施策の中で,柱になったのは2〜3カ月おきの試作車更新です。試作車を走らせることは,一般の機械やシステムの開発で,総合試運転に当たります。総合試運転は通常,工程の最後で行います。理論的にはテスト工程の最初から行なうことは考えられるのですが,未完成のモジュールやユニットに関してダミーを準備する必要があり,手間が倍加するため採用しないのです。
2〜3カ月おきに総合試運転を繰り返すことにより,全体システムと個別要素の同時開発を進め,先々行試作車以降,わずか2年で画期的な製品を市場に出したところに,トヨタ自動車の並々ならぬ問題解決能力が感じられます。
この連載では,情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。
皆様からもご意見を頂ければ幸いです。