情報システム学会 メールマガジン 2007.11.25 No.02-08 [6]

「大学教育最前線:第4回 中部大学」

前田和昭

久保田先生と西本先生という偉大な先生たちのあとに私の順番が回ってくるとは思いませんでした。たいへん緊張しています。「大学教育最前線」ということですが,お二人の先生とは少し方向を変えて,最近の情報教育に対する個人的な意見を中心に述べようと思います。

 私が中部大学で仕事を始めた頃(10数年前)のコンピュータは高価だったと思います。しかし,ここ数年間でコンピュータの価格はどんどん下がり,コンピュータは日用品となり,誰でも所有できる時代になりました。その変化のせいでしょうか,最近入学してくる学生と,その学生に対する情報教育に対して「何かが違う」と感じるようになりました。その違いが必ずしも良い方向へ向かっていないような気がします。

 さて,ここから述べることは,私が複数の大学で見聞きした経験に基づいたものです。C大学という名前の架空の大学を使って,情報教育に関する問題点をいくつか述べます。情報教育に関係している方々であれば,思い当たることがいくつかあるのではないでしょうか。これらの問題点を理解していただいた上で,私たちは知恵を出し合って,より良い教育を実現するために努力すべきだと思っています。

 ここで述べる架空の大学をC大学と呼ぶことにします。C大学のCには何の意味もなく,単にアルファベットの3番目という程度の意味しかありません。C大学には,文系の学科として経営自動車学科があります。この学科も架空の学科だと思ってください。

 何十年も前とは違い,最近では道路という交通基盤が整備され,しかもIT基盤工事とかいう名の下に,さらなる道路の拡充が進んでいます。一般市民にとっては,本や食料を買うときでも,銀行へ行くときでも,音楽を聴くときでも,いつでも自動車が必要になってしまいました。
 C大学の経営自動車学科は,道路が整備される前に設置されましたので,自動車という学問を大学でどのように扱うべきかについてのノウハウがあります。そのような学科に入ってくる学生たちは,自動車に興味があり,自動車に接することが楽しくて,また,自動車の操作技術を学びたい人たちばかりです。

 C大学では,学部学科を問わず自動車の購入を全員に義務づけています。しかも,特定の曜日には必ず自動車を大学に持ち込むことを指示します。新品でピカピカの自動車を手に入れた学生たちは嬉しそうです。彼らの中には高校で自動車に触れる機会のある人もいますが,全員が自動車の運転ができるわけはありません。大学生活で自動車を活用することを考慮して,C大学では学部学科を問わず新入生に対して自動車リテラシの授業を設置しています。そこでは,エンジンのスタートから始まり,アクセルの踏み方や,故障したときの会社へのアクセス方法などを丁寧に教えます。しかし,C大学では自動車免許を出すことはできませんし,自動車教習所で行っているような免許取得のための十分な授業を開くことができません。C大学のM准教授は,「ここは学問の場であって,運転免許を取得するための場ではない」と強く主張し,免許取得を希望する学生たちには教習所へ行くように指導します。学生たちは,入学前の期待と現実との違いに不満を抱き始めます。その不満をなんとか解消しようと,免許取得のための補習を始めることにしますが,夜の時間に開講するので,アルバイトに忙しい学生たちは参加できません。

 経営自動車学科では自動車を制御するソフトウェアについて教える必要があります。学生たちは大学まで自動車を持ち込むことができるので,自分で所有する自動車を使って実践的な授業を進めるのが良さそうに思えます。ところが,学生たちが持ち込む自動車は多種多様でメーカーも異なり,その内部で動いているソフトウェアは全く違います。担当のM準教授は解決方法を見つけることができず,いたしかたなく大学の自動車実習室に設置されていて,メーカーも仕様も全く同じである数十台の自動車を使って授業を進めることにしています。学生は自動車を持ち込む必要がなく身軽で大学に来ますが,学生の一部は「一体何のために自動車を買ったのだろう」と不思議に思うようになります。

 経営自動車学科では,経営的センスを磨くために自動車のマーケティングについて教えます。荷物や人を運ぶ会社が自動車をどのように配置するのが最適か,その解き方をいろいろ教えます。また,複数の自動車をネットワークで結ぶための最新技術を教育し,自動車間でのいろいろな連絡方法について教えます。さらには,自動車に関する世界中の最新の技術動向を調べるために,英語の資料を使って調べ学習を進めようとします。このように多種多様な授業が展開されるのですが,学生たちがこれらを修得するには高校卒業レベル以上の数学・国語・英語の知識が必要で,高校卒業レベルにまで達していない学生には,全く理解することができません。いたしかたなく,高校レベルの数学・国語・英語を勉強するための機会を作りますが,昼間は授業で埋まり,夜はアルバイトで埋まっている彼らには時間の自由がなく,高校レベルの補習授業をうける暇がありません。

 C大学には,成績の良い学生が多いわけではありません。それでも,かなり良い素質を持った学生たちがいます。その反対に,全く学習意欲がなく,入学時に購入した自動車はホコリをかぶったままの学生もいます。このように上下の差がかなり広がっているにも関わらず,彼らが一つの教室に混在することになるので,授業を担当する教員としては非常にやりづらいそうです。それでも試行錯誤の末,上下の真ん中を狙って授業を展開するのですが,よく知っている学生にとっては当たり前すぎてつまらないようですし,自動車についてほとんど知らない学生にとっては難しすぎてやる気がなくなることが多いようで,教員は困りはててしまいます。
 経営自動車学科の教員たちは,授業中に必ずしも自動車を使うわけではありません。M准教授が担当する自動車工学の授業では,理論的な話がほとんどであるため自動車を使う必要はありません。自動車を使うことに楽しみを感じる学生たちは,シラバスをあまり読まずにM準教授の授業を履修します。しかし,全く自動車を使わずに,頭を酷使する授業を受けているうちに,最初50人だった履修者が少しずつ減っていき,最後には10人ぐらいになってしまいます。

 4年生になると自動車を使った卒業研究が始まります。学生たちが自動車を購入したのは入学時なので,かなり古くなってきています。運が悪い学生の場合,コンピュータは既に壊れていて,卒業研究に取り組むためには新しく購入するしかありません。M准教授が担当する卒業研究では,最近の自動車工学を勉強するために自動車制御用の新しいソフトウェアを導入しなければいけません。運良く入学時に購入した自動車が動いていても,最新のソフトウェアが3年前の自動車に対応していないので,結局新しい自動車を購入することが多いようです。

 最近はどこの高校でも「燃料」という名の授業が行われるようになりました。名前は「燃料」なのに,その内容は燃料を消費する側となる自動車の使い方ばかりのようです。しかも,米国製の特定の会社に限定して,自動車をどのように運転すべきかを学ぶようです。ハンドルの回し方,アクセルの踏み方,ギアの操作方法など,そのほとんどが自動車教習所で免許を取るための予習のようなものです。しかし,

などは全く学習しないまま,「燃料」という名の授業は終わってしまいます。

 このように,高校の「燃料」という名の授業で学ぶことと,大学の「自動車」を専門とする授業で学ぶことにはミスマッチがあります。このままでは,ミスマッチに嘆く学生たちが多くなり,経営自動車学科に入学してくる学生が減っていくかもしれません。これは,C大学に限ったことではなく,日本における「自動車」を専門とする学科は没落していくのかもしれません。

 ここまでのC大学の話はいかがでしたでしょうか?「自動車」と「燃料」を「情報」に置き換えても,どこかの大学での話として成り立つことに気づきましたでしょうか。また,C大学という架空の大学を使って問題点を述べましたが,これらの問題点のうちのいくつかは,他の大学にも共通しているものと思っています。私たちは,この現状を認めた上で,それを打破するために知恵を絞り,少しずつ改善していく努力が必要でしょう。

 なお,ここまでの話は私のオリジナルの話だと思いこんでいるのですが,他の方の話を聞いた後それが知らないうちに潜在意識に残ってしまい,自分のオリジナルだと思いこんでいるのかもしれません。そのときはお許し下さい。と同時に是非ご一報下さい。

 今や自動車は日用品となり,一家に2〜3台あることも珍しいことではありません。コンピュータも自動車と同じく日用品となりました。しかも,価格の急激な低下により,小中学生にも買い与えることができるようになりました。そのような環境の変化を見ながら,どこでも当たり前のようにあるコンピュータを教育するとはどうあるべきかについて考え込むことが多くなりました。情報という名の下で行われている授業では,特定のソフトウェア会社が販売しているワードプロセッサや表計算ソフトウェアの使い方を学ぶことがほとんどと聞きます。何かを調べるときには,WikipediaやGoogleを使って検索して,それをコピー&ペーストするだけの場合が多いようです。確かに早く調べることができるので便利ですが,苦労して調べ考えて自分の知識とする大事な習慣がなくなっているような気がします。

 最後に,私の勤務している中部大学の話を少しだけしましょう。中部大学は愛知県春日井市にあり,最初は工学部だけからなる大学でした。20数年前に総合大学へと変革するため学部を新設することとなり,文系学部のひとつとして1984年に経営情報学部がスタートしました。
 昔も今も,経営情報という名前に惹かれて,情報を勉強したいと思う高校生が多く入学してくるようです(高校生と公の場で話をしますと「情報を勉強したい」と言いますが,本当の心は分かりません)。

 中部大学経営情報学部は偏差値で50点未満のゾーンに位置しますから,必ずしも成績が良い学生ばかりが集まっているわけではありません。それでも,教育次第で十分社会で活躍可能な素質を持った学生たちがいます。商業高校や工業高校の情報処理科を卒業しているため,コンピュータ関連の内容であれば抜群にできが良い学生もいます。その反対に,全く学習意欲がなく大学にもほとんど来なくなる学生たちもいます。このように上下の差の広がりがかなりあるにも関わらず,彼らが一つの教室に混在することになります。成績上位の学生の知的好奇心をくすぐりながら能力を延ばし,かつ,成績下位の学生のやる気を出させながらなんとか基礎力を充実させることの両方を同時に満足させることは不可能でしょう。

 この状況を打破するために,中部大学経営情報学部では,成績がある程度良くて勉強意欲がある学生向けの「専門家型教育」と,必ずしも成績が良くないけれども社会人としてあてになる学生を育てるための「一般型教育」の2つに分けることを模索し始めました。専門家型教育のために,1年生秋から学部特進コースを作り,専門家となるための教育を増強します。また,今年の春から4年生に対して,大学院で開講している科目を先行して履修可能にして,修士課程での時間に余裕を持たせることで,学生たちの知的好奇心をくすぐりながら高度な教育に取り組めるようとしています。一般型教育として,今年の春から1年生向けの「基礎演習」という少人数クラスの教育を始めました。基礎演習では,日本語力増強,学ぶ自信の育成,考える習慣づけなどの目標を掲げています。

 この取り組みがうまくいくのかどうか,あとしばらく様子を見る必要があるでしょう。熱意のある教員を中心に,試行錯誤を繰り返しながら少しでも前に進もうとしています。また機会がありましたら,その後の様子をお話することにいたします。