2年前に老舗の協力を得てICタグを使った実験を行った。客が一人一人自分に関する情報の入ったICタグを持っていて,店に入って来たときに,その人が誰なのか,過去の購買履歴がどうなのかが店にわかることで得られる長所・短所を調べてみようという実験である。
ICタグというとICタグリーダーから発する電波に反応する形のパッシブ型のものが一般には話題になってきた。バーコードの高級版のような位置づけで,だから一つ当たり5円を切らないと本格普及しないというようなことが言われてきた。衣類やシェーバー,あるいは箱やパレット,コンテナーなどにICタグを付けた様々な実証実験が行われ,その評価を受けて,物流の効率化や在庫の確認等の分野では本格的な活用も始まってきている。
しかしながら,我々の実験の企画に参画したメンバーの大半がITベンダーではない企業の現場部門だったこともあって,この実験では,ICタグという新しいツールを接客に使えないかという視点から議論は始まった。仕掛けには,パッシブ型とは異なる,自らが電波を発信するアクティブ型と言われるICタグを活用した。店の入り口に読みとり機を設置し,顧客が店に入ってきた時点で店のパソコンに客の名前,購買履歴,好み等々を表示,それを見て,店員が客に名前を呼びかけ,あるいは,好みに基づく商品を勧めるというものである。ユビキタスという言葉で語られる世界では,物ではなく,人に纏わる情報が使われるようになると考えられるため,その分野を見てみようということであった。
基本的な考え方は,
「老舗に馴染みの客がいつも来るのは,その客のことを良く知っているベテラン店員の応対が心地よいからである。」という仮説からスタートしている。
そのベテランの店員が居ないとき,あるいは引退したときに,他の店員が同じようなレベルで応対してくれれば,馴染み客はベテラン店員の居ない穴を感じずに,心地よい応対に満足してくれるのではないだろうか。また,初めての客でも,あらかじめ自分のプロファイルを登録しておくことによって,店に入ったときに馴染みの客並みの対応をして貰えれば心地良いのではないだろうか。それを支えてくれる情報システムにICタグは使えないだろうか,ということである。店は様々なメリットを享受出来るはずだが,一方で,客には拒否反応があるかもしれないということも検証したかった。
馴染みの店であれば,店員が自分の名前を知り,自分の過去の購買履歴も知っている(わかってくれている)ことに,殆どの人が心地良さを感じると思う。しかしながら自分のプロファイルをあらかじめ登録したとしても,初めて入った店で名前を呼ばれた時に,好みを店の人が知っているとわかった時にどう感じるだろうか。初めての客であれば,名前を呼ぶのではなく,あるいは好みについての会話をするのではなく,さりげなく,好みの物が目につくようになっていることが,心地よさの第一歩かもしれない。
飛行機のファーストクラスに乗ったときに客室乗務員が自分の名前を知っていて「XX様,いつもご利用,有り難うございます」といわれることは心地良いかもしれない。しかしながら,その当人が,たまたま何らかの事情があってエコノミークラスに乗っているときに同じ挨拶をされると「そっとして置いて欲しい」と感じるかもしれない。ことほど左様に,サービスというのは微妙な心の綾に関わるものだから,馴染みでもない店が情報を知っていることへの拒否反応があるかもしれないと感じたからである。
ICタグを使った実験と冒頭に述べたが,実験内容の主眼は,ICタグを組み込んだ情報システムそのものの評価にあるのではなく,この仕組みを使ったときに客や店が得られるメリット,避けて欲しいデメリットを検証することにあった。使う人の立場に立った情報システムへの道を探る実験だったといってよいかもしれない。
実験はITという切り口から見れば,極めて簡単な仕掛けである。しかしながら実験の内容そのものは、接客現場で客に満足感を与えるという最大目的を達成するために情報の取扱いをいかにすべきかという点で大きな意味を持っていた。
通常の多くの実験がそうであるように,実験そのものは事前準備段階で議論し設定した仮説の検証であったが,実験に到るまでに議論を密度濃く行えたことで得るものが大きかった。客の立場に立ったときに,個別情報の管理面でどれだけ安心感を客に与えられるか,客の情報を知っていることが客にどんな不安を呼び起こすのか,店側のメリットは何か等々。
もちろん,実用化には,個人情報,セキュリティといった面の技術的な課題をはじめ,まだまだ様々な課題が横たわっているが,最終的に情報が店,顧客の両方から受け入れられる仕組みになっていないと使われないことを改めて学んだ気がする。
ITは今後更に生活に入り込んでくるだろう。その時,こうしたことを我々が常に心していなければ,情報システムは我々に快適さを与える道具ではなく,ストレスを生み出す凶器になるかもしれないのだ。