人間中心のCIOのベストプラクティス
専修大学教授
商学博士 櫻井通晴
 

はじめに

情報システム学会の事務局から2006年12月2日に専修大学の神田校舎で開催された学会で筆者に与えられたテーマは,学会が志向している「人間中心」の情報システムに関係する報告であった。学会の要望に応えて,筆者は報告のタイトルを「人間中心のCIOの ベストプラクティス」として報告した。

報告の内容は,2005年2月から2005年6月までにわたって座長をさせていただいた「CIOの機能と実践に関するベストプラクティス懇談会」(経済産業省 商務情報政策局)で得られた情報をもとに,これに自らの知見を加えて日本企業のCIOが直面している諸問題とその解決の方法論を報告したものである。本稿は,その報告内容の概要の一部である。

1 CIOの現状と課題

経済産業省[2005]の調査によれば,日本の約半数の企業(52%)がCIO(Chief Information Officer;情報戦略統括担当役員)を有しており,その内訳は専務(13%),常務(20%),平取締役(19%)によって担当されている。情報通信技術出身者の比率は意外なほど低く,わずか24%でしかない。多くのCIOはITを専門としない業務系の経営者である。これは,日本のCIOに対する最も大きな期待が,後述する“つなぎ”にあるからであろう。
企業がCIOをもつことによって得られる効果は,ITのミッションが明確になること,情報交換が良好になること,ITのニーズを的確に把握できること,業務改革がスムーズに行えることなどである。CIOの効果は企業によって異なり,誰が担当するかによって決定的な違いが生じる。

CIOの役割は,企業によって異なる。主要な役割は,業務効率化(例;新日鉄),新事業の創造(例;ローソン),情報セキュリティ(セコム),経営革新(例;松下電器産業)などがある。

経営革新との関連でCIOが大きな役割を与えている松下電器産業の事例では,CIOとIT部門に「破壊と創造」の役割を付与している。中村邦夫社長(当時)は,「IT革新なくして経営革新なし」を旗頭に,IT組織を横断型組織に変え,ドメイン情報企画部門とコーポレート情報システム部門を新設して,組織に横串を通している。加えて,@EAガバナンスの強化,AIT投資の収益性の向上,BITリスクマネジメントに対応した施策を打ち出している。
多くの日本企業のCIOが指摘しているのは,経営トップ,ベンダー,情報処理部門の三者間の“つなぎ”の役割である。“技術”よりも技術を利用する“人間”の果たす役割を重視しているといえる。図表1を参照されたい。

図表1 CIOの“つなぎ”の役割


 

2 ITガバナンス

ITガバナンスとは,ITガバナンス協会の定義によれば,「経営幹部と取締役会の責任であり,それは企業のITを支援し組織体の戦略と目的を達成できるような,リーダーシップ,組織構造およびプロセスからなる」[IT Governance Institute, 2005]とされている。わが国の定義の1つ,経済産業省のそれでは,ITガバナンスとは「企業が経営優位性構築を目的に,IT(情報技術)戦略の策定・実行をコントロールし,あるべき方向へ導く組織能力」[通商産業省, 1999]であるとしている。筆者は,コーポレート・ガバナンスが「経営トップの行為を規律する仕組み」であるのに対して,ITガバナンスは「経営トップによる効率性と有効性の観点からするIT統治」であると考えている。

ITガバナンスの適用局面は数多いが,2つについて述べておこう。1つは,IT投資プロセスへの適用であり,いま1つはERPである。

ITガバナンスに配慮して,IT投資の決定プロセスは可能な限り合理的に行なえるような形で実施されている。その形には2つのタイプが見られる。1つは,損保ジャパンのように,経営トップの権限ではいくらまで,CIOの権限はいくらまでという形で一定のタガをはめておく。調整には情報システム委員会が当たる。いま1つの例では,リコーのように,IT/IS担当役員,グループ委員会,部門・各社ごとのIT/IS委員会といったように3種類に分けて,それぞれに投資権限を与えているようなタイプである。

ERPに関してもまた,2つのタイプの企業がある。1つは,グローバリゼーションの進んだ総合商社などで,住友商事は他の日本の有力な総合商社とコラボレーションを行って,ERPを導入している。いま1つのタイプは,CIOベストプラクティス2004を受賞したトヨタのように,ERPを導入するか否かは,「服に合わせるか,体に合わせるか」の問題であり,わが社は体に合わせて服を作るという信念のもとで経営を行っているとする企業である。

日本では上記2つのタイプのうち,後者のトヨタの事例が多い。経済産業省[2005, p. 12]の調査によれば,ERP導入の比率は,アジアNIEs 54%,欧米 40%に対して,日本ではわずか20%でしかない。それは,日本企業では,組織よりも人間を尊重しているからである。もちろんそのような人間尊重がすぐれているか否かは,ただちには結論をだせるわけはなく,結局は効率性か人間性尊重のいずれを優先すべきかの問題に帰着するといえる。

3 IT投資の評価

IT投資の評価を費用便益だけのデータで行なうべきだとする見解がある。外資系コンサルタントのアーサーD・リトル[大浦, 1995]がそれである。ただ,IT投資の効果がすべて計量化できれば費用便益アプローチをとるのが望ましいが,現実には計量化が難しい要素が含まれている。そこで,多くの研究者は総合評価アプローチを支持している。筆者も総合評価アプローチを支持する。

投資評価の理論モデルについて筆者は,まずは保守投資と戦略的投資に区分するのがよいと思われる。わが国では,保守投資の金額がIT投資の約85%に相当する。保守投資は,その性質から必須の投資であることが多く,総額で管理することが少なくない。一方,戦略的投資では,IT投資の評価が必要となる。戦略的投資の評価は,効果とコストに区分して測定する。効果は,基盤整備効果,戦略的効果,経済的効果に区分する。コストは,初期投資のコストと運用・保守のコストに区分する。図表2を参照されたい。

図表2 IT投資の評価モデル

図表2で,CIOがコストを測定するのは比較的簡単である。しかし,戦略的なIT投資の効果を評価[櫻井, 2005]するには,注意が必要である。なぜなら,省力化など会計上の利益で測定できる効果は少なくて,経済的効果といえども機会原価として便益として評価される効果が多いからである。加えて,戦略的効果は,一部の海外のコンサルタントを除けば,その効果の測定が可能であるとする経営者は少なく,記述に留めている企業が多い。基盤整備効果に至っては,電話線の設置と同列に考えて,評価項目から外す企業が一般的である。

貨幣で測定できる経済的効果は,理論的には正味現在価値法(NPV)や内部利益率法(IRR)で評価すべきだとされているものの,日本企業でこのような理論的に認められた割引キャッシュフロー(DCF)法を用いているCIOは決して多くはない。多くのCIOは回収期間法を使って,回収期間が短いものを採択する方式によっている。現実には科学的にすぐれている評価実践を採用している企業は,全体の1割前後でしかない。代わって,日本企業では,たとえばキリンが行なっているように,バランスト・スコアカード[櫻井, 2003]によってIT投資を評価するCIOも見受けられる。それは,アメリカの企業で多く見られるように科学的合理性を優先するというよりも,総合評価を優先させる企業が多いからである。とりわけ,4つの視点のなかでも,人間を育成することに関係する従業員の学習と成長に係わる評価が重視される。

IT投資は,IT教育が十分になされないと,本来の価値を創出することができない。ITは,専門的な知識と技術がない限り,十分な能力を発揮することはできないからである。以上から,企業が必要とする十分な利益をあげようとするのであれば,IT教育とIT投資を有機的に連動させたIT人材の育成が必要となる。そこで次に,IT人材の育成について述べる。

4 IT人材の育成

目標管理制度や成果主義は,人材育成に有効である。IT部門では,目標管理制度にもとづく面談型人事評価制度を持っているところが多い。成果を重視した給与・賞与制度にもとづく成果主義処遇制度も有効である。360度評価を行って,上司も部下の評価を受けるといった仕組みをもつIT部門も数多くある。さらに,ある企業では,社員の意識調査を意図したオピニオンサーベイを行っている。ただし,IT関連要員の組織的な教育体系をもつ企業は決して多くはなく,ある調査によれば,ユーザー企業の1/4にすぎないという。

IT人材の育成に最も期待が寄せられているのが,ITスキル標準(ITSS)である。わが国のITSSは数年前に通産省(現・経済産業省)が推進したもので,2005年現在では,日本の主要ベンダーには導入が終了し,現在はユーザー企業への導入が努力されている。わが国では,著者が知る限り,ユーザー企業のなかでは,松下電器産業のITSSがベストプラクティスといえる。

他の産業と違って,ベンチャー企業が多いIT産業では,必要な人材育成を個々の企業では行い得ないところも少なくない。そこで,人材育成の穴を埋めるために,独立行政法人 情報処理推進機構(IPA)は,子会社として第三セクターからなる地域ソフトウエアセンターをもち,必要とされるIT研修を,無償または低価格で提供している。この地域ソフトウエアセンターはIT要員の育成が望まれる約20の地域におかれ,わが国のIT教育に地道ながら多大な社会的貢献を果たしている。ITの活用が人間の能力如何にかかっているのであれば,当然のことであるといえる。
 

まとめ

本稿は,学会での報告内容をコンパクトに纏めたものである。報告ではアウトソーシングについても述べたが,紙数の関係で外さざるをえなかった。詳しい内容は,拙著『ソフトウエア管理会計』白桃書房, 2006, pp. 335-352を参照されたい。また,報告書の内容については,経済産業省商務情報政策局『「IT投資の拡大」,「CIOの役割向上」がもたらすユーザー産業の国際競争力の強化戦略についてーCIOの機能と実践に関するベストプラクティス懇談会報告書(案)ー』2005, 11, 21, pp. 16-17をご覧いただきたい。

最後に,人間中心の情報システムについて,私見を述べておこう。情報システムの活用において,人間志向であるべきことについては異論がない。しかし,人間志向も程度の問題である。日本の情報システムは,諸外国に比べると,極めて人間中心でありすぎ,効率を犠牲にしすぎた。たとえば,ソフトの活用にあたって,組織より人間による使いやすさを優先させてきたあまり,パッケージ・ソフトウエアの活用が諸外国に比べて大きく遅れを取った最大の要因になっていることをわれわれは忘れてはならない。

要するに,いずれを優先するにせよ程度の問題であって,人間と技術・組織・システムとのバランスが必要だということを最後に申し添えておきたい。

参考文献

IT Governance Institute, CobiT 4th edition, 2005, pp. 1-194.
大浦勇三「情報化投資評価の経済価値評価をもとにした新しい企業価値の創造」『戦略コ
ンピュータ』1995年3月,pp. 2-16。
櫻井通晴『コーポレート・レピュテーションー「会社の評判」をマネジメントする』中央経済社, 2005.
櫻井通晴『バランスト・スコアカードー理論とケーススタディ』同文舘, 2003.
櫻井通晴『ソフトウエア管理会計 第2版』白桃書房, 2006.
通商産業省『企業のITガバナンス向上に向けて―情報化レベル自己診断スコアカードの活用―』1999年3月。
経済産業省商務情報政策局『CIOの機能と実践に関するベストプラクティス懇談会報告書』2005, 9. 経済産業省商務情報政策局『「IT投資の拡大」,「CIOの役割向上」がもたらすユーザー産業の国際競争力の強化戦略についてーCIOの機能と実践に関するベストプラクティス懇談会報告書(案)ー』2005, 11, 21, pp. 16-17.  


文責:櫻井 通晴