情報システム学会 メールマガジン 2013.1025 No.08-07 [15]

連載 プロマネの現場から
第67回 エピダウロスとリフレッシュ方法

蒼海憲治(大手SI企業・金融系プロジェクトマネージャ)

 アテネから西に海岸沿いに車で1時間ほど走ると、エーゲ海とイオニア海(コリンティアコス湾)を結ぶ運河で有名なコリントスがあります。このコリントスは、アテネのあるアッティカ半島とペロポネソス半島とをつなぐ連結地点となります。ペロポネソス半島は、ミケーネやオリンピア、スパルタなど古代の数々の栄光があったため、現在ではギリシャの「偉大なる田舎」と呼ばれています。このコリントスから、東南へ約40キロ、サロニコス湾に面したところにエピダウロスがあります。
 この地は、1988年に「エピダウロスの古代遺跡」として世界遺産に登録されています。ここエピダウロスが有名なのは、13000人が収容できる半円形のエピダウロス劇場があることによります。この野外劇場は、山の斜面を利用して、直径120メートル、高さ22.5メートル、階段状に55段の座席が作られた見事なものです。
 そして、ここの音響効果は抜群です。ソプラノ歌手であるとして有名な声楽家マリア・カラスがここで公演したことが有名なようですが、実際、オルケストラと呼ばれる半円形の底の舞台の中心から手を叩くと反響音が上のほうまで見事に響き渡ります。
 たとえば、舞台の中央に立って、「パン!」と拍手をしても、
 マッチを「シュッ!」と擦っても、
 コインを落した「チャリン!」というかすかな音も、
 新聞を破る「ビリッ!」という音も・・そろそろやめておきますが、最上部の座席で、見事に聴き取ることができます。そのため、マイクのなかった古代においても、歌い手の声が、大人数の観客を魅了し演劇を楽しむことができた、と容易に想像できます。この素晴らしい音響効果の秘密は、黄金分割率を駆使した設計にあるともいわれていますが、ギリシャ人の優れた資質の一端を垣間見ることができます。
 紀元2世紀のローマ時代に、この劇場を訪れた地理学者パウサニアスは、こう書いています。
「エピダウロスの聖所にある劇場は最高に見応えがあると私は思っている。
 確かに、装飾という点ではローマのものが各地の劇場を軒並みはるかに凌駕しており、 規模の大きさという点ではアルカディアのメガロポリス市のものがやはりそう。
 しかし、石組みの緻密さ(ハルモニア)と全体の美しさの点にかけては、一体どの建築家がポリュクレイトスによく対抗できようか。」(*1)
 紀元前4世紀に建てられたこの劇場の建築家が誰なのかは特定されていないようなのですが、パウサニアスは、このようにエピダウロス劇場を激賞しています。

  ところで、ここエピダウロスの地は、紀元前6世紀頃にでき、紀元前4世紀にピークを迎えたアスクレピオス信仰の地でした。アスクレピオスは、医学の神様ですが、紀元前4世紀のエピダウロスには、医療施設を中心に、劇場(エピダウロス劇場)、体育訓練所(ギュムナシオン)、図書館に、大浴場まである古代ギリシアの「一大ヒーリング医療施設」となっていました。

 その当時の様子は、山川廣司『古代ギリシアのエピダウロス巡礼 アスクレピオスの治療祭儀』(*2)に紹介されています。

 古代ギリシアのエピダウロスに展開したアスクレピオス巡礼の様子はこのようなものでした。
 英雄であり、医神であったアスクレピオスは、預言の神アポローンと、テッサリア王フュレギュアースの娘コロニース(あるいはメッセニア人レウキッポスの娘アルシノエー)とのあいだに生れた子と伝承されている。
 また、その出生地は、テッサリアのトリッカ(トリッケ)とされ、そこからエピダウロスに伝播したようであるが、のちにはエピダウロスがその生誕地とされ、一大聖地となった。
 アスクレピオスは、アポローン神によって母を殺されたときはまだお腹にいたが、間一髪のところで救出され、その後、ケンタウロス族のケイローンから医術を学び、やがて名医となり、アテナ女神から授かったゴルゴーンの血によって死者を蘇らす力を持つ。
 しかし、天地の常道の逸脱を恐れたゼウスの雷霆(らいてい)に打たれ、星座・蛇遣い座となった。
 エピダウロスでのアスクレピオス崇拝は、紀元前6世紀のアーケイック期に始まる。
 紀元前5世紀の古典期に、その崇拝は隆盛し、紀元前4世紀から1世紀のヘレニズム期には頂点に達し、キリスト教を国教としたローマ帝国によって426年に聖域が閉鎖されるまで続いた。

 エピダウロスの遺跡の建物は、主として紀元前4世紀に建設された。
 アスクレピオス神殿
 アルテミス神殿
 アフロディーテー神殿
 テミス神殿 などの神殿群、
 アパトンやトロスなどの医療施設
 カタゴゲイオンと呼ばれる宿泊施設
 パラエストラ(体育場)
 ギムナジオン(屋内競技場)
 公衆浴場
 図書館
 ストア(柱廊付きの建物)
 などの社会施設が広範囲に建立されていた。

 アスクレピオスを讃えて、スポーツと音楽の祭典アスクレピエイア祭が4年ごとに開催された。それは、オリンピアのスタディオン(野外競技場)に匹敵する長さ181メートルの直線コースを持つ競技場や、その音響効果で現在も絶賛されている野外大劇場で行われた、アスクレピオスによる治療を求め、ギリシア各地からエピダウロスを訪れた巡礼者(患者)たちは、聖域の入口プロピュライアを通って聖なる道を進み、最初の夜をアバトン(お籠り堂)で過ごした。

 男性はアパトンの東側部分に、女性は西側部分に分けて寝床が作られた。
 睡眠の儀式に就く前に、冷水で身を清め、白衣に着替え、睡眠と夢見を促進するための一服を飲んだ。この夢見のとき、患者のもとにアスクレピオスが訪れ、触診したり、治療を施したり、処方箋を与えたりするいわゆる「奇跡治療」を行った、といいます。
 翌朝、神官団(医師団)は、その夢を聞いてカルテを作り、治療に当たる。
 そして、巡礼者たちは、神官団による治療を受けながら、同時に、ギムナジオンやパエストラ、スタディオンでスポーツを、公衆浴場や図書館で余暇を、野外劇場で悲劇や喜劇などの演劇を楽しみ、心身のリフレッシュを図った。
 非日常的経験を味わうことで、物理的・外科的治療と並んで、精神的解放を行うことで、心身の再生が行われた。
 また、後日改めて治癒のお礼に奉納品を持って再び聖地を訪れた、といいます。

 この治療法は、同時代を生きていたヒポクラテス(前460頃〜前375頃)の影響も反映されているのでは、と思っています。
 ヒポクラテスは、医学から迷信や呪術を切り離し、科学的医学の礎を築いたといわれています。病気は神々の与えた罰などではなく、環境、食事や生活習慣によるものであるとして、病気の治療法として、自然治癒力を重視し、病人の状態に合わせた食事療法を主体としました。
「人間は誰でも体の中に百人の名医を持っている」
「病気は、人間が自らの力をもって自然に治すものであり、医者はこれを手助けするものである」という人間の自然治癒力を大切にする言葉が残されています。
 エピダウロスの治療法は、初日の夢見とそれに基づく治療法決定というように、まだ多分に古代の呪術的な要素はありますが、神聖なる神殿での治療方法のご託宣に、病気で不安な患者たちには大きなプラシーボ(偽薬)効果があったと思います。
 そして、薬だけに頼るのではなく、温泉や冷水浴、マッサージで体をほぐし、スポーツで汗を流し、観劇や音楽鑑賞で心身ともにリラックスすることで、免疫力を高める。
 以前、危機管理の一つとして、定期的に、大息を抜くこと、リフレッシュすることの重要性を書いたことがありますが(第41 回 適切な「疲労」コントロール・・大息を抜くこと)、このエピダウロスでの治療法は、そのための要素がすべて入っているように思っています。

 最後になりますが、1954年以来、現在にいたるまで、毎年夏のシーズンは週末の夜、「エピダウロスフェスティバル」と呼ばれる演劇の祭典が開かれています。
 そこでは、ギリシャ国立オペラ座等によるアイスキュロス、ソフォクレス、アリストファネスなどのギリシヤ古代劇や、クラシック音楽、演劇、ダンス、オペラなどが上演されています。
 開演時間は午後9時になっていますが、夏だとサマータイムでも午後9時過ぎまで明るさが残っているため、劇が始まるのは、闇につつまれた後・・。星空の下、演劇を楽しむことができるのが、なんとも魅力的です。
 アテネからはバスで2時間半ほどかかるので、夕方アテネを出発し、観劇の後、明け方にアテネ市内に戻ってくるバスツアーがあるので、機会があればぜひ行ってみたい、と思っています。

(*1)パウサニアス『ギリシア案内記(下)』岩波文庫
(*2)『四国遍路と世界の巡礼』四国遍路と世界の巡礼研究会 編 法藏館
  2007年刊 に所収