情報システム学会 メールマガジン 2012.8.25 No.07-05 [8]

連載 プロマネの現場から
第53回 落合監督に学ぶコーチング力

蒼海憲治(大手SI企業・金融系プロジェクトマネージャ)

 プロ野球もオールスター戦が終わり、ペナントレース後半に入りました。ひいきにしているチームが低迷していることもあり、応援は続けているものの、気分は早くも、ストーブリーグ状態です。でも、勝ち負けにこだわらなくなった分、試合やプレーそのものに専念して見られるようになりました。プレー一つひとつに表われる選手の錬度、また、監督の采配一つ、チーム作りのあり方次第で、Aクラスが常連だったチームが、急転直下、なすすべもなく崩れていく様子は、プロジェクトや組織のマネジメントの立場から見ると、恐怖ですらあります。
 昨年、中日の監督を退任した落合博満さんの書かれた『采配』(*1)が、昨年発売以来、現在にいたるもベストセラーになっています。
 今回は、圧倒的な実績を残した後に書かれた『采配』と、落合さんが監督になる以前に書かれた『コーチング』(*2)という2冊の本を通して、落合監督流のコーチング力を考えてみたいと思います。

 落合さんは、10年前、まだ選手を引退して3年経った時、当時、横浜の監督になった森祇晶氏に頼まれてキャンプでの臨時コーチになりました。その体験を基に、コーチ業とコーチングの考え方について、『コーチング』という本を書かれています。
 理論編として『コーチング』に書かれた仮説があり、この仮説を監督になって実践に利用した結果が、実践編として『采配』に述べられていると思っています。
 システム構築プロジェクトにおいては、コーチは、プロジェクト・メンバーに対するプロマネであり、チームリーダであり、また、プロマネやチームリーダに対するライン・マネージャやプログラム・マネージャであると思います。
 コーチングについては、若手育成や新任管理職研修など、既に取り入れられている組織は多いと思います。中日を常に優勝争いできるチームにした落合監督のコーチングの考え方は、プロマネにとっても多くの気づきになると思っています。

 監督時代の落合さんのすごさの一つは、「当たり前のことを当たり前にやる」。これを、チーム全員に徹底したことにあると思います。

 レギュラーになって活躍したいと思うならば、

 ≪1.できないことをできるようになるまで努力し、
  2.できるようになったら、その確率を高める工夫をし、
  3.高い確率でできることは、その質をさらに高めていく≫
ことである。

 成果を上げる鉄則は、「できることをしっかりやる」こと。
 でも、「できることをしっかりやることこそが難しい」のが実情だと思います。

 だからこそ、選手を叱るのは、できること、当たり前のことを「手抜き」によってミスしたときでした。

 ≪注意しなければ気づかないような小さなものでも、「手抜き」を放置するとチームには致命的な穴があく。≫

 そして、落合さんが、中日の監督になって宣言した有名な言葉があります。
それは、「目立った戦力補強はせず、選手一人ひとりの実力を10〜15%アップさせて日本一になる」というものでした。

 そのために、選手一人一人が、
 ≪自分の頭で考え、自分の体で覚える。・・
  さまざまな練習の中で、自身を成長させていく≫
ようにしたこと。
 ≪まずは考え方の部分から、実力アップを目論んだのである≫
といいます。
 育成の根本にあるのは、
 ≪自分で考え、動き、成長させる≫
こと。
 だから、若い選手に教えておかなければならないことは、
 ≪自分を大成させてくれるのは自分しかいない≫
ということであり、
 ≪自分で自分を成長させた選手がレギュラーの座を手にしていくのだ≫
といいます。

 また、目標設定は、選手一人ひとりが行うことの大切さを説きます。

 ≪人間は、他人の立てた目標に対しては言い訳を探してしまうが、
  自分の立てた目標については何が何でも達成しようという気持ちになるものだ。≫

 だから、上司から与えられた「ノルマ」ではなく、あくまで自分自身が設定した「目標」が必要になる。

 ≪目標に向けたプロセスでは、自分と闘い、相手と闘い、数字と闘う。≫

 ≪比較対照は無意味でも、
  「自分にはできないからいいんだ」の「いいんだ」には進歩がない≫

 そう思ったら、人間はあらゆる進歩を止めてしまう。

 だから、昨日の自分自身と比較し、日々わずかずつでも進歩していることを実感し、自分自身の目標に置き換えることが大切になる。

 では、どのようにして、選手一人ひとりを
 ≪自分の頭で考え、自分の体で覚える≫
ようにしたか。

 ここに落合流のコーチングの秘訣があります(以下、『コーチング』より)。

 ≪私には、コーチという仕事は教えるものではなく、
  見ているだけでいいという持論がある。≫

 また、コーチングとは、教えられる側を主体に考えなければ進められないものである、といいます。

 その理由は、
 ≪野球が上達する一番の秘訣は、技術的なことでも精神的なことでもない。
  その選手の感性の豊かさだ。≫
にあるから。

 コーチから「バットを短く持て」と言われ、何も考えずにバットを短く持ってしまうような選手は、指導者にとっては使いやすい選手かもしれない。
 でも、その指導者がやめて他の指導者が来たら、あっという間に使いづらい選手に早変わりする。

 ≪だからこそ、指導者は選手から能動性を引き出し、自分の野球に自分自身で責任を持てる選手に仕向けておくことが肝要だ。

  そのためには、練習の時から、自分で考える習慣を身につけさせたい。≫

 また、見ているだけが、理想のコーチングであるが、この見ているだけというのは、見ている側も本当はつらい。

 ≪「こうやればいい」と教えるのではなく、何らかのヒントなりアドバイスをしてやる。
  このやり方は、遠回りなのかもしれない。
  しかし、長い目で見れば必ず本人のため、会社のためになるはずだ。≫

 ≪コーチの仕事とは、選手を叱ることでも同情してやることでもない。
  選手に気持ちよく仕事をさせてやることなのだ。≫

 ≪コーチングとは、経験や実績を備えた指導者(上司)が、いかに選手(部下)
  を教育するか、という一方通行的なものではない。

愛情を持って選手を育てようとする指導者と、必死に学んで成長しようとする意欲に満ちた選手とのハーモニーである。≫

 ≪視点をどこへ置くかによって、すべての答えの出し方は変わる。
  失敗する時は失敗すればいい。
  失敗することを恐れず、失敗しても、その経験を次の糧にすればいい。

失敗したことが自分の教訓として生かされていれば、同じ失敗を繰り返してしまうことも避けられる。≫

 ≪指導者は、こうした出発点(式)から答えを出すやり方と、
答えから式に戻すやり方、この二通りの方法論を常に頭に入れておかなければならない。≫

 ≪頭で考えて、リスクのない方法で取り組む人もいれば、

ある程度のリスクを承知しながら、最終的に目標を達成しようとする人もいるだろう。

  そうしたプロセスの時点で「君のやり方は違う」とは必ずしも言えないはずだ。≫

 ≪指導者は、最終的にやるのは本人なのだということを常に忘れてはならない。

そして、どんな方法で育てるにしても、選手本人とよくコミュニケーションをとり、納得して打ち込める環境をつくってやりたい。≫

 指導者にとっても本当の楽しみは、自分が教えた選手の成長するプロセスを見守ることかもしれません。

 だから、一軍よりも、ファーム・二軍のコーチを充実させたい、といいます。
 ファームのコーチは、現役時代の名声よりも、指導者としての実績を重視します。

 指導者に、一軍とファームの格の違いはない。ファームでは、正しい練習方法や技術を教える。

 選手には、早咲きと遅咲きのタイプがある。
 その選手に合うのかどうか判断する目を持ち、自分からの一方通行にならないように教える。言葉で教えるためには、いろいろなノウハウが必要になる。
 だから、ファームのコーチは、様々なことを吸収する意欲のある人でなければならない。

 ≪人間を育てることに強い責任感があり、
  愛情を持って人と接することのできるような人がいい。≫

 また、監督の仕事は、選手ではなくコーチの指導にこそある、といいます。

 選手に対しては、「見ているだけ」、自己成長を見守ることを促しているが、監督は、コーチたちには教えなければいけない。
 監督が、ひとつの方向性を明確に示さなければならない。

 最後に、

 ≪世の中がどんなスピーディになっても、後進や部下の育成は守るべき順番を守り、必要な時間はかけなければならない。≫

 人間はデジタルでは育たない。アナログでしか育たない、ということを再認識させられた2冊でした。

 (*1)落合博満『采配』ダイヤモンド社 2011年刊
 (*2)落合博満『コーチング―言葉と信念の魔術』ダイヤモンド社 2001年刊