情報システム学会 メールマガジン 2012.7.25 No.07-04 [12]

連載 情報システムの本質に迫る
第62回 福島原発−国会事故調の報告に関して

芳賀 正憲

 7月12日の日経新聞朝刊に、菅直人前首相が福島第1原発の事故について、「原因の大半は2011年3月11日以前にある」と自身のブログで述べたという、小さな記事が載っています。過去の政権の失策から起きた大事故の対応に奔走した前首相が、自身はどんなに批判にさらされても今まで敢えて言及しなかった今回の事故の本質であり、テレビ等でも報じられて注目を集めました。
 このブログに対して読売オンラインや産経ニュースは、「国会の事故調査委員会が首相官邸の過剰な現場介入などを指摘したことへの反論」と解説していますが、「介入」は、今年2月のいわゆる民間事故調報告でも言われていて、この解説は当を得ていません。
 前首相がこのタイミングで3月11日以前に言及したのは、むしろ国会事故調が7月5日に公表した報告書に、「事故の根源的な原因は、東北地方太平洋沖地震が発生した2011年3月11日以前に求められる」と明記したことがきっかけと思われます。国会事故調が言明したことで、客観的に述べることのできる根拠が得られたからです。

 畑村洋太郎(委員長)、柳田邦男(委員長代理)両氏のもと、先に発足した政府事故調では、菅政権に都合の悪い事実が解明されないのではないかという憶測から、自民党を中心に野党主導で設置された国会の事故調査委員会でしたが、その最終報告で「事故の根源的原因」として強調されたのは、意外にも自民党政権下において、東京電力や内閣府安全委員会、経済産業省保安院などが、地震・津波やそれにともなう過酷事故への対策、事故時の住民の安全保護対策などについて、当然備えておくべきこと、実施すべきことをしていなかったという重大な指摘でした。
 2006年、保安院は新たな耐震基準をもとに、全国の原子力事業者に耐震安全性評価の実施を求めました。ところが東電は、最終報告の期限を2009年6月と届けていたにもかかわらず、いつしかこれを2016年1月に先送りしてしまいました。東電は、新基準に適合するためには耐震補強工事が必要であることを認識していたにもかかわらず、1〜3号機については、まったく工事を実施せず、保安院もこれを黙認していました。
 2006年には、福島第1原発の敷地高さを超える津波が来たとき全電源喪失に至ること、土木学会評価を上まわる津波が来たとき海水ポンプが機能喪失し、炉心損傷に至る危険があることを、保安院と東電はともに認識していました。しかし、東電は対応を先延ばしし、保安院はそれを知っていて明確な指示を行ないませんでした。

 規制を導入する際、規制当局は事業者の意向を確認していました。安全委員会は1993年以来、長時間にわたる全交流電源喪失を考慮する必要はないとの立場をとってきましたが、その理由について事業者に作文をさせていました。また安全委員会は、IAEAの深層防護に関して日本が5層のうち3層までしか対応できていないことを知っていたにもかかわらず、黙認していました。
 規制当局はまた、海外からの知見の導入に関しても消極的でした。9.11の後、米国で全電源喪失を想定した機材の備えと訓練が全原発に義務づけられたという情報を得ていたにもかかわらず、これを保安院内にとどめてしまいました。この対策を要求していれば、今回の事故は防げた可能性があります。

 このように今回の事故は、これまで何回も対策を打つ機会があったにもかかわらず、歴代の規制当局と東電経営陣が、それぞれ意図的な先送り、不作為、あるいは自己の組織に都合のよい判断を行なうことによって、安全対策がとられないまま3月11日を迎えたことで発生したものだと、国会事故調の報告書は断じています。

 国会事故調が調べたところ、東電は、新知見にもとづく規制の導入により既設炉の稼働率が影響を受け、また安全性に関する過去の主張との間に矛盾が生じて訴訟などが不利になることを恐れ、安全対策の規制化に強く反対し、電気事業連合会を通じて当局に働きかけていました。
 これに対して規制当局も、専門性で事業者に負けていたこと、過去に認可した原発に対する訴訟リスクを回避したいこと、保安院が原発推進官庁の経産省の一部であったことなどから、安全について積極的な制度化に否定的でした。
 かくして「原発は安全」という大前提が事業者と当局の間で共有され、既設炉の安全性、過去の規制の正当性を否定するような意見や知見、新たな規制や指針の施行は、回避、緩和、先送りされてしまいました。

  原発に関する事業者と規制当局の関係を、国会事故調は、G.スティグラーの「規制の虜(とりこ)」概念で説明しています。これは規制当局が事業者の虜になって、事業者の利益の最大化に傾注する状態を表します。
 東電は、市場原理が働かない中、専門的な情報の優位性と、経産省との密接な関係を武器に、電気事業連合会などを通じ、歴代の規制当局に規制の先送りと基準の緩和等を求め、圧力をかけてきました。規制当局は、事業者の方が専門的能力が高いこと、規制当局自身の組織優先の姿勢などから、事業者の主張する「既設炉の稼動と、訴訟対応で求められる無謬性の維持」に積極的に協力してきました。

 結論として国会事故調は、福島第1原発過酷事故の根源的原因は、「規制する立場とされる立場が逆転関係となることにより原子力安全について監視・監督機能の崩壊が起きた点に求められる」と述べています。また、何度も事前に対策を立てるチャンスがあったことを根拠に、今回の事故を明らかな「人災」としています。事業者と規制当局の間では、情報と力関係の優位性から、事業者の方により重い責任が課せられることはいうまでもありません。

 以上記したように、国会事故調の報告書は、福島第1原発過酷事故の本質を的確に見きわめ示していると考えられます。しかし事故調査の論点を社会に対してどのように見せ、それをジャーナリストがどのように報道したのかという観点に立つと、そこには大きなバイアスが存在しています。
 6月9日、国会事故調は報告書作成に向けた論点整理を発表しました。翌日の日経新聞朝刊は、「官邸の過剰介入で混乱 国会原発事故調 論点整理で指摘」という、1面4段抜きの見出しでこれを報じています。「菅直人前首相ら首相官邸内の初動対応を、「発電所内の事故対応に過剰介入したのではないか」と問題視し、政府に危機管理体制の見直しを求めた」と、リードに記されています。
 さらに2面では、「「全面撤退」形跡なし 国会事故調 東電側主張に寄る」という3段抜きの見出しで関連記事と、論点整理のポイントを示す表を載せています。そのポイントは、「官邸と発電所内の関係」「官邸と東電の関係」「官邸の危機管理体制」「政府の情報収集・伝達」の大きく4つに分けて整理されています。
 これらの記事を読むと、国会事故調は、あたかも官邸と政府の初動対応の不手際の追求を中心に報告書をまとめるのではないかという印象を受けます。
 しかし国会事故調のWebサイトを見ると、実態は異なります。まず、論点整理は今回が2回目です。そして「これまでの論点整理は、当該時点の論点を暫定的に示すものであり、国会事故調の論点の全てを示すものではなく、また、国会事故調の結論を示すものではない」とまで書かれているのです。

 本年2月末、いわゆる民間事故調の報告がなされたときも、報告書の内容と、記者会見で示された有識者委員の見解、マスコミ報道の間に相当のかい離がありました。報告書が事故の本質を「過酷事故に対する東京電力の備えにおける組織的怠慢」と断じていること、有識者委員の野中郁次郎氏が、報告書で明らかになった今回の原発事故の実態を把握しないまま、記者会見で一方的に菅政権の批判に終始したことは、4月号のメルマガで述べたとおりです。
 会見の中で、あるベテランの記者から次のような質問がありました。「要は、菅直人首相をトータルとしてどう評価しますか?」
 これに対して北澤宏一委員長は、次のように答えました。「一般的に危機のとき国民の支持率は上がるものだが、菅首相は国民の評価を失い、支持率が上がらなかった。したがって、菅首相の危機対応は、全体として不合格。」
 この質疑応答をもとに共同通信など多くのメディアが、「菅前首相は不合格」の大見出しで民間事故調の報告を伝え、約30名の研究者が300名以上の関係者にインタビューし、また各種の資料を調査して究明したこの事故の本質は、遠景に追いやられてしまいました。
 上記のやりとりで、北澤委員長の「国民の支持率が上がらなかったから菅前首相は不合格」という判断は、適切ではないと考えられます。卓越した戦時の対応から野中郁次郎委員が尊敬してやまないチャーチルは、ドイツ降伏後の総選挙で自身の率いる保守党が大敗、ポツダム会談の途中で政権交代を余儀なくされました。
 一方で、質問者もベテランの記者なのですから、事故の本質から外れた議論を誘導するような問いかけは、避けるべきだったと思われます。

 菅政権の支持率が上がらなかったのは、政敵やいわゆる有識者、ジャーナリスト等による、不当ともいえる誹謗や中傷も影響した可能性があります。
 典型的な事例は、安倍晋三元首相による偽情報の発信です。安倍氏は昨年5月20日付の自身のメルマガで、3月12日19時04分開始された1号機の海水注入を、菅首相が「俺は聞いていない!」と激怒して55分間中断させ、しかも海水注入を自らの英断としているとして、「菅総理は間違った判断と嘘について国民に謝罪し直ちに辞任すべきです」と述べました。
 この情報の真偽を確認しないまま、20日夜、まずTBSが報道、次いで読売新聞が翌朝1面トップで「首相意向で海水注入中断」と大々的に報じ、産経新聞も追随しました。
 真相は、5月26日東電副社長が記者会見で事実無根と述べて明らかになりましたが、それまでの一連の報道の中で、菅内閣の評価は地に落ちました。
 安倍元首相には、偽情報をもたらした人物がいるはずです。海水注入協議のとき官邸に居合わせた、経産省の柳瀬官房総務課長が、当初疑われましたが、彼は「総理はそんなことを言っていない」(ことを自分は知っている)と、疑惑をきっぱりと否定しました。今では、東電や原発に対する菅内閣の厳しい態度に反感をもった東電社員の可能性が高いと見なされています。(大鹿靖明「メルトダウン」講談社)

 首相退任後も、菅氏に対する批判は、思わぬところで続けられました。
 東京工業大学では、21世紀の大学における新たなリベラルアーツ教育を実現するため、リベラルアーツセンターを発足させました。3人の教授が任命されましたが、その中の1人が、著名なジャーナリストの池上彰氏です。
 本年5月10日、センター発足記念の講演会が開かれ、その中で池上氏は次のように語っています。
 「突然東工大にいかがですかと言われ、(なぜ自分が東工大にと)たまげましたが、理科系の人たちに社会科学的常識を身につけさせてほしいと言われ、そういえば、この大学から日本の総理が出たが、社会科学的な教養とか常識とか人を動かすとか、そういうことが全然できない人がいたな、そういう卒業生を出さないようにしてくれということが暗にあるのかなと解釈しました。」
 池上彰氏は、政治、経済、原発、環境、国際問題等々、多岐にわたる分野で解説できない事項がない、該博な知識をもっていることは、まちがいありませんが、菅氏の資質と40年近い活動について、このような見方しかできないのかと、いささか失望しました。例えば、菅氏は「最小不幸社会」という注目すべき概念を提唱していますが、社会科学的な教養の全然ない人に、そのような着想ができるとは思われません。

 このメルマガでくり返し述べていることですが、社会的に重要で複雑な問題に関して、仮にその本質が熱心な人たちの努力によって解明されている場合でさえ、いわゆる有識者やジャーナリストによって、その内容が一般市民に的確に伝えられることはきわめてまれな状況になっています。その原因は、意図的な場合は論外ですが、ほとんどは有識者やジャーナリストの認識不足によるものと思われます。さらにその要因は、実際に複雑な問題を解決したことがない、実践経験の少なさにあるのではないかと推察されます。

 現在、情報システム学会では、情報システムに関わる社会的に重要な問題の本質を解明し、社会に提言する活動を継続していて、社会に貢献すると同時に、学会の組織能力のレベルアップも図りつつありますが、今後はさらに、見きわめた問題の本質が、広く社会全体に確実に伝えられる構造の考察が必要と思われます。

参考資料
     国会事故調(東京電力福島原子力発電所事故調査委員会)報告書(2012)

この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。
皆様からも、ご意見を頂ければ幸いです。