情報システム学会 メールマガジン 2012.4.25 No.07-01 [13]

連載 情報システムの本質に迫る
第59回 福島原発―いわゆる民間事故調の報告に関して(承前)

芳賀 正憲

 福島原発事故独立検証委員会―いわゆる民間事故調の『報告書』が、今回の事故を人災と見なし、その本質が「過酷事故に対する東京電力の備えにおける組織的怠慢」にあるとしていることは、先月号のメルマガで記したとおりです。『報告書』ではまた、「備えを怠った背景には、原子力の安全文化を軽視してきた東京電力の経営体質と経営風土の問題が横たわっている」と指摘しています。
 検証委員会には有識者委員として、日本軍の『失敗の本質』の研究やSECIモデルの開発、近年はフロネティック(賢慮型)リーダ論の提唱で著名な経営学者・野中郁次郎氏が参加されていました。したがって野中氏には、地域独占の電力会社が、国策民営の原子力発電事業を推進するという条件下で、フロネティックリーダは、どのように安全文化を醸成すべきだったのか、また東電の経営者はなぜそれに失敗したのか、多年の蓄積を活かした、透徹した洞察と説明が期待されました。

 ところが『報告書』発表の記者会見における野中氏の発言は、事故の本質を離れ、もっぱら菅首相とその政権の対応の批判に終始するという、意外なものでした。その発言の要旨は次のとおりです。

「私の個人的な関心は、国家的な危機管理とリーダシップにある。今回の調査の特色は、原子力発電を、先端科学の叡智を結集したシステムとして、その管理運営も含めてトータルのプロセスとしてとらえた点にあるのではないか。したがって、その分析検証では、発電所という単体の技術的なマネジメントに限定しないで、原子力や核という世界の安全保障にもつながる大きな関係性の中で、事故の直接的な原因だけではなくて、背後の見えにくい間接的な要因も含めて、真実に迫る努力をしたと考える。
 そういう総合的なアプローチで見えてきたのは、国家の危機管理能力の欠如が、福島第1原発事故の被害を拡大したのではないかということである。官邸、東電、保安院に、個人の次元で危機対応のリーダシップと覚悟が欠如していたし、組織の次元では危機管理体制が機能しなかった。個人のレベルでも組織のレベルでも、情緒性やインフォーマルな関係性が優先して、個人の独善や組織の保身を許す結果になった。
 国家的な危機管理の基本は、まず初動の段階では事故の関係性の境界が見えないから、危機対応のグランドデザインを描くのだが、リスクの全体像と細部が見えにくい非常事態では、すぐに全省庁横断で多様な知をつなげるタスクフォースを編成して大局を予見する。そして実行能力の高い官僚制も活用する。現場への権限移譲を進め、責任は取ることが必要である。時々刻々変化する事態に対処するには、トップダウンとボトムアップの相互補完とフィードバックが要請される。
 これは常識であって、すでに第2次大戦のチャーチルがウォールーム―内閣戦時執務室をつくり、全省庁のトップを集め、産官軍のチームと起居をともにして、大局小局を総合しながら、現場への権限移譲をし、かつ国民を激励して危機を乗り切った。これが基本である。
 ところが政治主導を標榜する民主党政権は、原子力災害対策マニュアル、SPEEDIの存在も知らなかった素人集団ではなかったか。本来の政治主導は、時間と手間をかけながら各関係省庁との率直な対話の場をつくり、信頼関係と人脈づくりを行なう。その上ではじめて政治主導が可能になる。民主党政権ではステイクホルダ―との信頼構築や人脈づくりを日頃から怠っていた。
 菅首相は、文民統制、基本的な安全保障の知識とか国家のトップとしての戦略や覚悟が希薄だったのではないか。今回の危機は戦時であって、全体像を把握して機敏に状況対応する組織的な判断力と現場への権限譲渡と動機づけが不可欠だったのではないか。
 私自身、日本軍の失敗の本質を書いた。文脈は異なるが、日本軍の失敗の要因と共通項が3点ある。1つは思い込み、イデオロギーに縛られて現実を直視できない。大局的な見地にもとづく現場対応もできなかった。開かれた多様性を排除して、同質性の高いメンバーで独善的に意思決定をする内向きの組織であった。多様性の高いタスクフォースと官僚制を活かすために必要な統制能力が欠如していたのではないか。
 その意味で私自身を含めて大きな反省と今後の国家的な危機管理、リーダシップをどう養成していくかが課題である。」

 かなり厳しい批判の言葉が並べられていますが、ここで述べられた菅首相のリーダ像は、『報告書』に記録されている今回の原発事故の実態、それに対応した同首相の言動と比較して、相当のかい離があります。野中氏の記者会見における見解は、若手研究者たちの検証で明らかにされた原発事故の現実を直視せず、チャーチル等に触発され自ら構築したフロネティックリーダの逆のイメージを、当時の首相に観念的にあてはめて、レトリックのみで批判しているように見受けられます。
 例えば野中氏は、菅首相が「トップとしての戦略や覚悟が希薄だったのではないか」と酷評しています。しかし『報告書』によると、菅首相と官邸中枢は、原発事故の初期段階から強い危機感を共有し、つねに最悪のシナリオを想定しながら対処していました。これは、国家の危機管理において最も重要なことです。
 当初このシナリオは、科学的な分析にもとづくものではなかったのですが、菅首相が近藤・原子力委員長に「最悪のシナリオ」の作成を依頼して3月25日に精緻なシナリオが完成、それにもとづいてプロジェクト・チームを発足させ、危機の抑え込みを進めていきました。(『報告書』所載「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」参照)
 今回の過酷事故で危機感がピークに達したのは、3月14日から15日にかけてのことです。1号機、3号機に続いて2号機爆発の可能性が高まり、4号機燃料プールも深刻な状態に陥りました。
 15日未明、東電・清水社長から現場職員「撤退」の申し出があり、報告を受けた菅首相は断固としてこれを拒絶、あわせて対策統合本部の設置を決断して直ちに東電本店に赴き、オペレーション・ルームで働く200人以上の東電社員を前に、次のように訓示しました。
 「これらを放棄すれば、何カ月かのちにはすべての原子炉と使用済み燃料プールが崩壊して、放射能を発することになる。チェルノブイリの2倍から3倍のものが10基、20基と合わさるんだ」
 「そうなれば日本の国が成り立たなくなる。何としても命がけで、この状況を抑え込まないといけない」
 「撤退を黙って見過ごすわけにはいかない。そんなことをすれば、外国が、アメリカもロシアも、何もしないでいるだろうか。『自分たちがやる』と言い出しかねない」
 「君たちは、当事者なんだぞ。命をかけてくれ。東電は逃げても、絶対に逃げ切れない。金がいくらかかっても構わない。日本がつぶれるかもしれないときに撤退はありえない。撤退したら東電は100%つぶれる・・・」

 菅首相はこのとき、東電の社員に「命をかけてくれ」と求め、東電の現場の従業員は「決死隊」をつくり、放射線量を浴びながらベント作業などを行なったと、『報告書』は記しています。

 菅首相が東電の撤退を断固拒絶し、本店内に対策統合本部を設置したことは、東電自身に強い覚悟を迫り、今回の危機対応における1つのターニングポイントになりました。
 事故対応の初期段階には、東電が迅速かつ効果的な組織的対応に失敗したことが原因で、政府と東電は危機管理の協力体制を組むことができませんでした。野中氏は、「全省庁横断で多様な知をつなげるタスクフォースを編成し、実行能力の高い官僚制も活用すべきだった。トップダウンとボトムアップの相互補完とフィードバックが必要だった」と述べていますが、実際には3月11日15時05分、すなわち大津波の襲来する前に、官邸地下危機管理センターには、菅首相をはじめ官邸の中枢、各省庁の局長クラス(20人程度)等々関係者が結集して、迅速に危機対応のタスクフォースが形成されていたと見てよいのです。
 しかし肝心の原発現場で全交流電源喪失後は正確なデータが把握できず、後述するように現場のトップも状況判断を誤ったため適切なボトムアップ情報が上げられず、また官僚もトップダウンで危機対応のシナリオを構想するだけの備えが欠落していて、タスクフォースは機能しなかったのです。この点、野中氏の論評は、現実の制約条件を無視した形式的な「べき論」にとどまっていると言わざるを得ません。
 菅首相の臨機応変、超法規的とも見なされる対策統合本部の設置は、「あの状況下で、政府(官邸及び各省庁、特に防衛省・自衛隊、警察、消防庁、さらには米政府)と東電(本店と福島第一)の情報、資源、能力の最大限の共有を図る上で一定の効果を上げたことは認めるべきである」と、『報告書』は述べています。
 『報告書』にはまた、菅首相に、強く自身の意見を主張する傾向があり、首相のこの性格が、緊急事態における重大なリスクやトレードオフをともなう決断を下す上で効果的だったと評価する、複数の政府高官や官邸スタッフの証言、さらに、菅首相の現場のアクシデント・マネジメントへの積極的な関与に関して、判断の難しい局面で、首相の行動力と決断力が頼りになったと評価する関係者の証言が記されています。
 このような菅首相のリーダ像は、野中氏が批判的に描き出した同首相の人物像と比較して、むしろ対極にあるように感じられます。

 野中氏が今回の原発事故の現実を直視していないことは、同氏の東電に関する論評を見るとさらに明らかです。記者会見で野中氏は、もっぱら菅政権の対応批判に終始しましたが、『報告書』に添えられた「委員メッセージ」では、東電について次のように記述しています。
 「福島原発の現場責任者であった吉田昌郎所長は、状況即応の判断を重ね海水注入による冷却を継続させていた。これに対し近年の東電トップ達はいずれも企画か資材畑出身で、霞が関への対応やコストダウンは得意であったが、緊急事態対応への実践知は希薄だった。」
 たしかに、吉田所長は本店の意向に抗して海水注入を継続、このことは英雄的行為として大きくマスコミでとり上げられ、民放の中には吉田氏の特集を組み、学生時代からの友人まで登場させて、いかに彼の人となりが優れているか報道した番組さえありました。

 しかし『報告書』にも記されていることですが、今回の過酷事故で、1号機→3号機→2号機とメルトダウン・爆発が続き、並行連鎖的に事故が拡大した起点は、すでに昨年5月、同志社大学・山口栄一教授が指摘され、11月情報システム学会全国大会の講演でも主テーマとされた「最後の砦」の1つ、1号機の非常用復水器の隔離弁が「閉」か、またはそれに近い状態にあったことに、現場も吉田所長も気が付いていなかったことにあります。
 1号機の「最後の砦」は、15時37分全交流電源の喪失時から自動的に機能がストップしていたにもかかわらず、吉田所長はこれを動作し続けていると誤認していて、3月11日の夜には、むしろ2号機の水位低下を深刻に懸念していました。
 同日21時51分頃、1号機原子炉建屋の放射線量が上昇したため、吉田所長は、現場作業員らの安全を考え、1号機建屋にはいることを禁止する指示を出しました。しかし、吉田所長は、建屋内の放射線量上昇の情報から原子炉や非常用復水器の状態についてどのようなことが推測できるかというところまで考えが及びませんでした。原子炉の冷却で最も重要な点に関して、野中氏のいう「状況即応の判断」とは程遠い状態にあったのです。

 もちろん今回の過酷事故のより根本的な原因は、大津波が起こりうるという試算が東電社内でなされていたにもかかわらず、対策がとられなかったことにあります。このことにも吉田氏は関与していました。
 最大で15m以上の津波が起こりうるとの試算を受け、2008年6月頃から、東電社内で検討会が開かれました。このとき、原子力・立地副本部長だった武藤栄氏と、原子力設備管理部長だった吉田氏は、防波堤を造ると、原発を守るために周辺集落を犠牲にすることになりかねないため、社会的に受け入れられないとの発言をしています。結論は、土木学会に津波の再評価を依頼することにして、先送りしたのですが、武藤氏、吉田氏とも「実際には津波は来ない」と考えていたことが、政府事故調の中間報告で明らかにされており、この『報告書』にも紹介されています。

 現場の責任者と本店の幹部に、同一の人間が人事異動で順に就任していくことは企業の常態であり、野中氏の記述にあるように、現場の責任者は状況即応の判断ができたが、本店のトップは緊急事態対応への実践知が希薄だったというような、ステレオタイプで論じられるような構造にはなっていないのです。

 野中氏は、原発について国家的な危機管理とリーダシップに関心があるというのなら、9.11後、米国の規制当局が日本に核テロ対策強化を促したのに対して、小泉政権下、保安院がこれを正面から受け止めず不作為だったことに、なぜ注目しなかったのでしょうか。このとき米国の警告にしたがい深層防護を厚くしていれば、それは同時に津波による全交流電源喪失対策にもなっていたのです。
 記者会見の発言や「委員メッセージ」において、野中氏の着眼は、事故が発生した後で東電や官邸はいかに適切に対応すべきだったかという点にありました。しかしこのような対応は、すでに昨年4月号のメルマガで、スリーマイル島の事例などから説明しているように、失敗する確率が高く、かえって被害を拡大させるケースが多いのです。
 折角『報告書』で、事故の本質は「過酷事故に対する東京電力の備えにおける組織的怠慢」にあると分析されているのですから、それを前提にした上で、東電の経営と、政治のリーダシップと覚悟はいかにあるべきだったかを論じられると、野中氏の提言はもっと核心をついたものになったと思われます。

 メルマガでは今まで、年金記録管理システムの大量不明データ発生やトヨタ・プリウスのリコールに関して、ジャーナリストやいわゆる有識者たちが、トラブルの本質を理解せず、むしろ誤った情報や論評を流していることを問題視してきました。
 プリウスのリコールに関しては、すでに原因が公表され専門誌等で伝えられているにもかかわらず、(偶々一般紙に載らなかったためか)それを認識していなかった有識者が、原因を誤って推定、それをもとに長文の論考を日経新聞に寄稿し、担当の編集者もまた、まちがいに気づかず、そのまま掲載してしまいました。
 今回の野中氏のケースも、これと類似しています。政府の事故調や民間事故調の検証によって相当程度明らかになってきている、過酷事故の実態や本質を直視せず、持論から恣意的に設定した仮説にもとづいて、菅首相や東電の経営体質に論評を加えています。

 メルマガの2010年5月号で述べましたが、一般市民は、時間的に各自の仕事に忙殺されている上、空間的にも見聞できる範囲が限られていますから、世の中で起きている問題がいかに重要であっても、その構造を自分で見きわめる余裕は、ほとんどありません。いきおい一般市民は、その判断の根拠を、ほぼ100%マスコミで伝えられる情報や、有識者の論評にゆだねることになります。ジャーナリストや有識者が本質からはずれた情報や論評を伝えるとき、それに依存して形成される世論がいかに偏ったものになるかは明らかです。これは情報社会の最大のリスクと言えます。
 問題の本質を見きわめて提言する情報システム学会の活動が、社会にとって必要不可欠であるゆえんです。

   参考資料
     福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書(2012)
     東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会中間報告(2011)

 この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。
 皆様からも、ご意見を頂ければ幸いです。