情報システム学会 メールマガジン 2012.1.1 No.06-09 [12]

連載 情報システムの本質に迫る
第55回 情報システム学会のフロンティア〜2012年〜

芳賀 正憲

 設立8年目を迎える年の初め、昨年に続き、情報システム学会のフロンティアがどこにあるのか、再確認し共通認識とすることが必須の作業と思われます。2011年1月1日号のメルマガでは、「新情報システム学の体系化」「社会システムの分析」「社会への提言」を、本学会の3つの重要な最前線の活動領域として提起しました。3月の東日本大震災と原発事故に加えて、世界的な経済危機への対応を迫られている現在のわが国において、この3つの活動の緊急性と重要性が、さらに高まったことは明白です。
 学会の設立目的ともいうべき「新情報システム学の体系化」に関して昨年画期的だったのは、慶應大学・嶋津恵子准教授から、本学会がINCOSEに対応した活動を本格的に推進するよう提言のあったことです。学会活動に関してこのように建設的かつ具体的な提案が行なわれたことはきわめて貴重であり、今後意を体して事業計画に取り入れる必要があると思われます。

 すでに昨2011年10月号のメルマガから、嶋津先生によって「INCOSE入門」の連載が開始されています。第1回では、システム・エンジニアリング誕生の契機が語られました。
 1960年代の米ソ冷戦下、ベトナム戦争は長期化しロケット開発は失敗の連続という追いつめられた状況の中で、米国の威信をかけて月に人間を送り込むという、超高難度の目的を達成するため、個々の分野の技術と人を最適に統合する工学として開発されたのがシステム・エンジニアリングです。
 ひるがえって現在の日本は、課題解決先進社会と称されるくらい、当時の米国よりさらに複雑化した厳しい問題に直面しているのですから、本来、米国以上にシステム・エンジニアリングの適用が求められている局面にあります。INCOSEに対応した活動の推進が、切実に必要とされるゆえんです。

 一方、INCOSEによって「システム」エンジニアリングの体系化がめざましく進展したとしても、「情報」システムに関するプロダクトプロセスのレベル向上は、依然として大きな課題です。
 「情報」システムのプロダクトプロセス推進にあたって最大の抵抗(インピーダンス)になっていると考えられるのが、プロダクトプロセスに関わるほぼすべてのツールが欧米の文化の産物であることから生じる、わが国との文化差です。
 このことに関しては、すでに2009年の全国大会で、同志社大学・金田重郎教授から「オブジェクト指向と概念データモデリングの背後にはパースを祖とするプラグマティズム哲学がある。このため、欧米とわが国の学生の一般教養の差異により、モデリング手法などを学ぶ場合、理解の早さと深さに差が出る可能性がある」という重大な仮説の提示がありました。
 金田教授からはさらに、メルマガの2010年3月号から2回にわたり「情報システムと日本文化」と題して、欧米の一神教の思想とプラグマティズム哲学から生まれた情報システム技術に、わが国がもつ多神教(アニミズム)の価値観と労働集約的な稲作漁撈文明の方法論で対峙していくことの困難さを指摘する、詳細な考察を頂きました。
 このような問題意識を背景に、昨2011年の全国大会では、同志社大学の世古龍郎氏と金田教授により、「オブジェクト指向のクラス図は英語の5文型に対応しており、日本語仕様記述からクラス図を書くことは日英機械翻訳に匹敵する。日本語をある一定のパタン対に統一することにより,日本人におけるクラス図の作成の理解、利用性が容易となる可能性がある」旨の注目すべき研究成果が発表されました。
 今までわが国の情報システム教育は、文化差を無視して、米国のカリキュラムの表面的な翻訳やコピペで推進されることが多く、これがわが国の情報システム産業に3Kや7Kをはじめとして、さまざまな弊害をもたらしていたと考えられます。その意味で、金田教授の研究室の一連の考察と研究は、わが国の情報システム技術と教育に、基本的な概念からのブレイクスルーをもたらすものであり、今後の進展が期待されます。

 情報システム学と哲学の関連については、メルマガの昨2011年1月25日号から、オブジェクトデザイン研究所・河合昭男氏により「オブジェクト指向と哲学」の連載が続けられています。欧米の技術には、やはりわが国と異なり、技術以前に哲学があり思想があるとの問題意識から出発され、ソクラテスやアリストテレスなど特にギリシャ時代の哲学者が存在や認識についてどのように思考や対話を積み重ねたのか、UMLで整理されるという最新の取り組みをされており、今後情報システム関係者のBOK(知識体系)のベースとして位置づけられるべきものと考えられます。

 情報システムのプロダクトプロセスの要ともいえる要件定義に関しては、筑波技術大学大学院・隈正雄教授により、ベテランSEのノウハウを形式知化した企業情報システムの機能選定方法論の確立がなされ、FUSE法としてメルマガの昨2011年1月25日号から4回にわたり紹介されました。隈教授の25年にもおよぶシステム開発経験と理論研究にもとづいて体系化されたもので、汎用性の高い卸売業を対象に、97の詳細業務に対する214のIT機能要件が、初心者でもベテランに匹敵するレベルで、運用の難易度、有効に機能する業務条件、業務効果、経営効果、業務運用能力、風土条件(従業員や経営者の協力度)など多岐にわたる視点から選定できるように、知識ベースとしてまとめられています。実開発への適用結果の発表が待たれます。

 「社会システムの分析」は、従来情報システム関係者の取り組みが、企業や工場、機器(電化製品や自動車など)の情報システム化に偏重していたのに対して、今まで手つかずで、しかも問題山積の、(企業より次元を1つ高めた)社会レベルのソリューションをめざしていこうとするものです。
 1年前すでにわが国の国際競争力は低下し、財政はひっ迫、経済成長率は低迷し、失業率・相対貧困率は高く、高校・大学新卒の就職内定率は憂慮すべき水準になっていましたが、冒頭述べたように、東日本大震災と原発事故に加えて、世界的な経済危機の拡大により、問題はさらに深刻化しました。
 これに対して情報システム学会では、昨2011年、川野喜一常務理事を主査として、「情報とシステムの視点からみた組織と社会研究会」が発足、活動を開始しています。第1回では法政大学大学院・中嶋聞多教授、第2回ではNTT データ経営研究所・村岡元司氏から講演を頂きました。(学会Webサイト・研究会のページ参照)

 「社会システムの分析」に対する情報システム学の期待される貢献として、問題の本質に関わるシミュレーションモデルの構築と実行が挙げられます。昨2011年全国大会のベストプレゼンテーション賞には、本号メルマガに掲載のように、慶應大学・八島敬暁氏等による「建造物の設計図情報と広域の地理情報を活用したマルチエージェントシミュレーション環境の構築」が選ばれました。災害発生時の避難誘導・救護救命戦略など緊急時の計画立案を目的として、複数の人間が互いに影響を与え合いながら行動する状況がシミュレートできる環境の構築です。

 現実に、問題解決に対する精密なシミュレーションの効果は、すでに絶大なものがあります。
 ある製鉄会社では、オイルショックの9か月前に、加熱炉の燃料消費量を最少化できる制御システムを完成させていて、実際にオイルショックが起きたときには、大幅なコスト削減効果を挙げることができました。鉄鋼材料の加熱過程を計算するロジックは複雑で、当時高速の計算機でさえ、材料1個につき1分以上を要していました。現場では、同時に100個以上の材料について1〜2分毎にくり返し加熱過程の計算をする必要があるため、到底実行は不可能だったのですが、オフラインでシミュレーションを積み重ねることにより、高精度で瞬時に計算できる数学モデルを開発し、問題を解決しました。
 トヨタ自動車のハイブリッドシステム開発で、決定的に大きな役割を果たしたのもシミュレーションです。ハイブリッドのシステムは、公表されているものだけでも80種類あり、プロジェクトでは、その中で有力と思われる10種類について原理を中心に検討し、4種類の候補を選び出しました。各候補の詳細な評価が、シミュレーションによって行なわれ、その結果、エンジンと発電機、モータ、バッテリ、プラネタリギアを組合せたシステム構成が最適で、燃費も2倍に向上させることが可能と予測され、この案が実際にプリウスに採用されました。シミュレーションにより、エンジン、モータ、バッテリなど各要素への要求仕様も明らかになりました。(メルマガ2010年2月号参照)

 12月18日に放送されたNHKスペシャル「シリーズ原発危機 メルトダウン〜福島第一原発 あのとき何が〜」は、大震災後の原発現場の対応と原子炉状態の推移を、時刻を追って克明に描き出していて、調査報道の圧巻ともいうべきものでした。
 番組ではまず、福島第1原発の詳細な図面をもとに、10mを超える津波がどのように浸入し原発の電源機能を奪っていったのかシミュレーションによって明らかにします。
 今回福島の現場対応の誤りは、スリーマイル島における誤りと酷似しています。スリーマイル島では、2次冷却水補助給水管のバルブが閉、加圧器の逃がし弁が開になっていること、水位計が誤表示していることに、いずれも気づかず、事故の拡大を招きました。福島では、全電源喪失後の唯一の冷却装置である非常用復水器のバルブが閉になっていることに気づかず、また水位計の誤表示で水位を高いと判定したため、対応が遅れ、過酷事故に至りました。
 世界的に評価の高い原子炉の計算プログラム・SAMPSONによってシミュレーションをした結果、1号機は全電源喪失後わずか1時間15分で水位が燃料の上部まで下がり、4時間39分後、燃料は完全に露出、空だきとなり、9時間28分後メルトダウン、10時間37分後には、燃料が原子炉を突き破り格納容器の底にたまるメルトスルーが起きていたことが分かりました。

 社会システムに関して前世紀以来最も大きなテーマは、資本主義と社会主義のどちらが優れているのかという選択の問題でした。社会主義体制については、メルマガの2009年7月号から3回にわたって記したように、ハンガリーのコルナイ・ヤーノシュ等が数学モデルによって、中央集権的計画経済が理論的には完全に機能し、最適状態をつくることが可能であることを証明しました。それと同時に、現実には、前提となる情報システムが適切に機能しないため、集権的計画経済が最適状態になることはあり得ず、むしろ恒常的に不足が生じることも明らかになりました。
 一方、資本主義については、完全市場を前提にしたワルラスの一般均衡モデルにより、完全分権化市場経済が完全に機能し、最適状態をつくることが可能であると、理論的に証明されています。これについてもコルナイは、情報が不確定で歪曲されていれば、市場メカニズムが経済を最適状態に至らせることは絶対にないのだから、一般均衡モデルはむしろ市場のリスクを示す警告と受け取るべきだと主張しました。
 つまるところ社会主義と資本主義は、どちらも理論的には正しく、現実にはどちらも情報システムの不備により行きづまる可能性をもっているのです。実際に、ソ連と東欧の社会主義体制は崩壊し、そのわずか20年後には、市場主義経済もまた危機に瀕して、コルナイの予測は不幸にも的中しました。人類は今、どのような経済システムをとるべきか、選択肢をもたない状態にあるように見えます。

 解決策として考えられるのが、慶應大学・山内志朗教授の提示された「畳長化」概念の適用です。旧ソ連で開発された創造的問題解決技法TRIZで、矛盾を解決する方法として、「反対の特性をシステムとその構成要素とで、分離して組み込む」というのがあります。社会主義と資本主義、集権的計画経済と分権化市場経済は、対立概念ですが、1つのシステムの中に畳長性をもたせて組み込むことを考えるのです。(メルマガ2009年4月号参照)
 メルマガの昨2011年2月号に記したように、金沢大学工学部の半沢英一博士により、競争の過程を法的あるいは制度的にコントロールして、市場経済の活力を保持しつつ社会的正義に近づけていく市場社会主義の原理的可能性が指摘されています。2つの経済の共存による最適化がシミュレーションによって検証できれば、情報システム学の貢献として、混迷する今日社会に新たな方向を指し示すことできるのではないかと考えられます。

 昨年に引き続き、情報システム学会の最前線の活動領域として特筆されるのが、「社会への提言」です。
 人間が生きていくための最も基本的な活動は、PDCA(仮説実証法)のサイクルを回していくことですが、この活動は、大小の各組織においても、また社会全体においても必須です。このうち、社会全体においてC(チェック)の役割を担っているのは、公式には司法ですが、日常的に市民に直結してその負託を受けているのは、ジャーナリストといわゆる有識者の集団です。
 ところが残念なことに、クリティカルな問題に対して、司法の判断は妥当性を欠くことがしばしばあります。
 例えば、狭山事件において東京高裁は、数学者の半沢英一博士が鑑定書で補充した異議申立を棄却しましたが、棄却決定書の中で半沢博士の鑑定書について記述した部分は、鑑定書の論証結果をまったくたどっていない、きわめて非科学的・非論理的なものでした。半沢博士の述べていないことが述べたことになっていたり、主張したことが捨象したことになっていたりしています。論証で重要な根拠になっている確率の値が、裁判官にとって都合が悪ければ、無視されてしまいました。(メルマガ2011年2月号参照)
 また、伊方原発訴訟の一審判決で、国の設置許可を認める有力な根拠になったと考えられるのは、原子炉の事故確率を100万分の1とする国側証人の証言ですが、その裏付けとなっていたのは米国で定説となっていた、原発の安全を強調するMIT教授のレポートでした。ところが一審判決の翌年、スリーマイル島の事故が起きたため、この定説がくつがえされ、米国では原子力規制委員会により原発の安全性と対策の見直しが始まっていたのです。それにもかかわらず、二審の裁判長は、原告が一審の国側証人の再出廷を求め、国側が審理は尽くされているとして結審を求めたのに対して、弁論を終結、原告の控訴を棄却、最高裁もこれに追随してしまいました。(メルマガ2011年9月号・10月号参照)

 社会的に重大な問題の本質の解明が、ジャーナリストやいわゆる有識者によって必ずしも適切におこなわれていないことは、メルマガの2008年2月号「利用者責任 vs. 開発者責任」、2010年5月号「ジャーナリストの説明責任」などですでに述べたとおりです。
 原子力を外国から性急に導入するという正力松太郎氏の方針に対しては、新聞とテレビが一大キャンペンを展開、原子力ブームを巻き起こして、反核から推進への世論の急激な転換を成功させました。
 伊方原発訴訟一審の頃、電気事業連合会は、原発のPR活動に力を入れ、全国紙で次々に専門家が原発の優れた可能性と安全性を説く広告を出していました。「原発PRの広告は、新聞社のよい収入源で、わが社にも、わが社にもと言ってきていました。そのため各社とも原発について厳しい批判記事を書くことはありませんでした」と電気事業連合会の当時の担当者は証言しています。(NHK・ETV特集「原発事故への道程」(後篇))

 司法にも、ジャーナリストやいわゆる有識者たちにも多くの期待ができない以上、社会におけるC(チェック)機能の担い手として、情報システム学会の使命はきわめて大きなものになります。特に、社会主義や市場主義の限界も情報システムによって規定されることが明らかになり、自動車さえ情報システムとして見るのが妥当とされる現代社会において、問題の本質の解明に情報システムの視点は欠かせません。
 ところが、わが国に情報システム関係の学会や団体は非常に多く存在するにもかかわらず、今まで情報システム学会が取り組んできたような社会的に重要な問題に、目的意識と問題意識をもって取り組んだ学会・団体は、1つもないのが実態です。情報システム学会の責任の重大さが痛感されます。

 「新情報システム学の体系化」「社会システムの分析」「社会への提言」は、いずれも社会への貢献度の大きい、新たな開拓領域です。ヒッグス粒子が宇宙に質量をもたらしているように、情報と情報システムが人間社会に幸せをもたらすよう、学会で議論を深め、フロンティアを切り開いていきましょう。

 この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。
 皆様からも、ご意見を頂ければ幸いです。