情報システム学会 メールマガジン 2011.9.25 No.06-06 [6]

連載 システムの肥大と人間の想像力
第8回  「情報倫理」 という考え方

サイバーリテラシー研究所代表(サイバー大学IT総合学部教授)
矢野 直明

 現代における「システムの肥大と人間の想像力」について、いくつかの「愚問」を発してきた。皆さんからはほとんど「返答」を得られなかったけれども(^o^)、私自身、コラムを書きながら、あるいは少しは賢くなったかもしれないと思っている。これぞ愚問賢答、自画自賛!!

 さて私自身の大いなる関心事である「情報倫理」について、今回とあと1回、コラムを続けさせていただきたい。
 かっこうの素材はツイッターである。2011年になってからでも、ツイッターの安易なつぶやきで他人のプライバシーがまき散らされ、そのことでメッセージを書いた当の本人も社会的制裁を受けるという、愚かともいたましいとも言える事件が相次いだ。
 まず1月、都内のホテルのレストランでアルバイトをしていた女子大生が、来店した有名人の男女の名前やその行動をツイッターに書き込んだ。これがネット上で非難され、店名は特定され、女子大生の名前など個人情報も明かされた。ホテルは2人に謝罪し、女子大生は店をやめる結果になっている。
 次に5月、スポーツ用品大手銀座店の20歳代の女性社員が、訪れた客のJリーグ選手とその夫人を見かけ、ツイッターで2人を中傷するような書き込みをした。これがやはりネット上で話題になり、店はサイト上に「同選手、ご家族をはじめ関係者の皆様およびお客様に多大なるご迷惑とご心配をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます」との謝罪文を掲載した。女性社員は4月に新卒で採用されたが、実名も割り出されてしまい、まもなく退社した。わずか140文字のメッセージで就職したばかりの会社を棒にふったわけである。
 そして7月、ワールドカップで優勝した女子サッカー、なでしこジャパンのK選手が飲み会で発言した内容を、参加していた大学生がツイッターで中継した。K選手はなでしこジャパンや監督の裏話もしていたらしく、学生らが金メダルをかじっている写真も紹介された。これが騒ぎになったため、K選手は釈明とおわびの会見をしたが、この事件に関して学生の通う大学が「Kさんをはじめ関係方面にご迷惑をかけたことを、大学として深くお詫び申し上げます」と陳謝した。

 いろいろ考えさせられる話である。
 まず若者たちはなぜ身近で起こっている出来事を何の考えもなく公共の場に引き出してしまうのか。どう考えても、彼らには周りの私的空間とインターネットでつながる公共空間との区別がない。両者がストレートにつながっている。これらの話題が井戸端会議(これまた古いたとえだが、サイバーリテラシー的に言えば現実世界)でしゃべられている分には、伝わる範囲も限られているし、しゃべった内容はすぐ忘れられる。これに対してサイバー空間は「制約もない」し、「忘れる」こともない。
 これまでの重層的な社会構造を簡単につき破ってしまう新しい道具に対する警戒も、使い方への配慮もほとんどない。というか、そういうことへのリテラシー教育を受けていない。
 便利な道具(技術)は諸刃の剣である。婦女暴行などの犯行現場にさしかかった人がツイッターで多くの人に救いを求めるのであれば、それは美談ともなろう。ツイッターはどのように使い、どのような場合は使うべきではないのか。IT社会に対するリテラシーがあれば、他人と同時に自分自身をも滅ぼすような危険なツールを持ち歩いていることへの覚悟も生まれよう。このサイバーリテラシーに基づいた倫理を私は「情報倫理」と呼んでいる。

 大岡昇平は南洋諸島の悲惨な戦争体験をもとに小説「野火」を書いた。以下はその中の有名なシーンである。主人公が狂い死にした将校の腕の肉を右手に持った剣でえぐりとろうとしたとき、「変なことが起こった。剣を持った私の右の手首を、左の手が握ったのである」。「『汝の右手のなすことを、左手をして知らしむる勿れ』。……。『起てよ、いざ起て……』と声は歌った。私は起ちあがった。これが私が他者により、動かされ出した初めである」。
 主人公は戦争という極限状況の中で、すでに若いフィリピン人女性を銃で殺している。手榴弾を受けてそげた自分の肩の肉も食べた。しかし、同僚が同僚を殺してその肉を食べている間、激しい嘔吐に悩まされ、最後にその同僚を殺した。

 一方は死と直面した状況下の銃剣、他方は平穏な時代におけるケータイ(スマートフォン)。比べるにはあまりに次元が違うとも言えるけれど、IT社会にはIT社会で、情報のデジタル化が引き起こす問題に有効に対応するための倫理が必要である。それは、伝統的倫理から抜け落ちている「指針の空白」を埋めるものとも言えよう。
 その課題は、(1)IT技術がもたらす事態に対応する新しい生き方を考える。(2)IT技術が古い倫理を突き崩しつつある実態を分析し、効果的に対応する方策を考える。(3)サイバー空間の新たな構築、である。これはサイバーリテラシーの課題とも照合している。

 アスキー総合研究所の調査(2009年暮れ実施だからちょっと古い)によると、ツイッターのユーザーは20代がもっとも多く、ついで30代と40代が続く。調査では、「つぶやき」の対象として、「特定のユーザーに向けてはいないが、誰かの反応を期待して」、「誰に聞いてもらうつもりもなく、純粋に独り言として」、「リアルでは面識はないが、SNSやブログ、ツイッター上で知り合った人へ」などと答えた人が多かったという。ここには、漠然とした対象に向けて他愛ないおしゃべりをする若者たちの心象風景が投影されている。それがどういう行為で、どのような結果を招くかということへの想像力はほとんどない。
 ファイル交換ソフトのナップスター、画像配信のユーチューブ、ニコニコ動画、SNSのフェイスブック、ミクシィなど、インターネットを使った新しいサービスが次々登場し、しかもあっという間に世界中に普及、そのたびにサイバー空間と現実世界の交流のあり方を変えている。ツイッターの画期的な点は、サイバー空間と現実世界の交流のリアルタイム性にある。その「なんとなくのつぶやき」が他人のプライバシーを侵害したり、名誉を棄損したりといった結果を招いている。
 本人も意識しないままに、他人に危害を加えてしまうような事態をどう防げるか。右の親指がボタンを押しそうになったとき、左手がそれを止めることができるためには、どうすればいいのかを、真剣に考えるべきではないだろうか。

 先に上げた3つの事例でメッセージを発信した若者たちは、いずれもその後は無言である。謝罪したのはホテルであり、スポーツ店であり、発言を報じられたサッカー選手であり、学生が在籍していた大学だった。当事者たちは社会的制裁を受けたとも言えるが、反省しているのかどうかは、はっきりしない。私としては、二度と同じ過ちを繰り返さないためにこういう工夫をした、といった反省の弁を聞きたい。
 何よりも経験から学ぶことが大切である。情報倫理では、このようなケースバイケースの小さな教訓を社会的合意として積み重ねたいと思っている。しかし、いま一つ人口に膾炙しないのは、これも愚問だからかな(^o^)。

 この連載は、愚問を発し読者諸兄姉の賢答をお願いする「愚問賢答」方式で進めてきました(^o^)。サイバーリテラシーについては、折々に説明もしますが、詳しくはサイバーリテラシー研究所のウエブ(http://www.cyber-literacy.com/ja/)や拙著『サイバーリテラシー概論』(知泉書館、2007)を参照してください。
 なお私のメールアドレスは、yano■cyber-literacy.comです。フェイスブックでもお会いできます。