情報システム学会 メールマガジン 2011.4.25 No.06-01 [11]

連載 情報システムの本質に迫る
第47回 福島第1原発・過酷事故の政治責任

芳賀 正憲

 畑村洋太郎氏が創始された「失敗学」の原典ともいえるのが、1996年同氏の編著で刊行された「続々・実際の設計―失敗に学ぶ」(日刊工業新聞社)です。この中に失敗の伝承に関連して、2人の共著者が三陸大津波の石碑を訪ねた記録が載っています。この記録の参考文献および引用文献として挙げられているのが、当時三陸町在住の、岩手県における津波研究の第一人者・山下文男氏の著作と資料でした。
 2011年3月11日、山下氏は陸前高田市の、海岸から約2キロ離れた病院の4階に入院されていました。大きな揺れのあと病院の職員が逃げるよう警告しましたが、山下氏は動かず、「波が来てもここなら大丈夫。津波の研究者として見届けてやる」と海を見つめました。しかし波は一気に3階まで押し寄せ、第2波で4階の窓ガラスを破って浸入、山下氏はカーテンにしがみつき、強烈な寄せ波と引き波に耐えたのち、助けに来た病院職員にかかえられて屋上に避難、九死に一生を得ました。(日経新聞3月25日夕刊)

 今回の大地震の当初速報値は、M(マグニチュード)7.9でした。山下氏が、地震発生直後ラジオ等でこの値を把握されたかどうかは不明ですが、死者2万2千人を出したM8.5の明治三陸大津波で、陸前高田市で26.7m、三陸町で実に38.2mの津波高さがあったことを調べられ、発表されている山下氏です(上記引用文献)。もし今回の大地震の最終的な確定値M9.0(速報値の約45倍のエネルギー)を把握されていたら、(4階で高さが10メートルあるから)「ここなら大丈夫」という判断はされなかったと思われます。第一人者といえども、短時間で正しい情報を得ることは容易ではなく、したがって十分な知見をもっていたとしても、とっさに的確な判断をして行動することがいかにむずかしいかが分かります。

 このことは、原発事故についても言えます。
 スリーマイル島の場合、福島第1原発における全電源喪失のような深刻な状況と異なり、事故は、(1)保守点検時2次冷却水補助給水管の2つのバルブを閉めたまま開けるのを忘れていた、(2)2次冷却水の主ポンプの系統が故障で止まった、(3)原子炉加圧器の圧力逃がし弁が開いたまま閉じなくなったという、それぞれは比較的容易に対処が可能なミスやトラブルが重なって起きました。2次冷却水主ポンプ系統の故障に対し、バックアップの補助給水系のバルブが閉じていて機能せず、2次冷却ができなくなったため1次冷却水の温度と圧力が上昇、加圧器の逃がし弁が開いて冷却水が放出されたのですが、圧力が下がっても逃がし弁が閉じないため冷却水の放出が止まらず、原子炉内の水量が減少、燃料棒の損傷に至ったものです。
 しかし、このように一見単純ともいえる要因による事故であっても、現場の状況把握と対応、関係機関とのコミュニケーション、それを受けた監督官庁・政府の状況認識と意思決定は混乱をきわめました。結果として出された、妊婦と乳幼児に対する避難勧告は過剰反応だったと、後に分析されています(多くの市民は、報道におびえて自主的に逃げ出しました)。
 現場の状況把握が混乱した原因として、この事故では発生直後30秒間だけでも、85個のアラームが鳴り響き、点灯した警報ランプが137個に及んだことが挙げられます。プリンターに打ち出された137個の警報内容を見ても、運転員にはどこに問題点があるのか分かりませんでした。
 制御室パネル上で、2次冷却水補助給水管のバルブ状態を表わすランプは、2つとも正しく「閉」を示していたのですが、1つのランプは偶々上から注意札がかけられていて見えにくく、また、「閉」を緑、「開」を赤で表示していたことも、異常の発見を遅らせました。このパネルでは、赤が異常のケースと緑が異常のケースがあったからです。
 逃がし弁については、ランプ表示が機械的な状態ではなく開閉の制御信号によっていたため、閉の信号が出ていれば実際には弁が開きっ放し(開固着)になっていても、運転員は気がつきませんでした。
 1次冷却水は、加圧器上部にある開きっ放しの逃がし弁の出口に向かって吹き上がり、加圧器の水位は見かけ上高いように計測されました。運転員は、水位が高いと判断したため、本来1次冷却水の放出があって増やさなければならない注入水量を逆に絞り、炉心の露出と燃料棒の損傷を進行させてしまいました。(柳田邦男「恐怖の2時間18分」(文藝春秋))

 混乱のもとになった、警報の打ち出し方やランプ表示の基準の不統一、逃がし弁の耐久性や開閉信号の発信源は、本来装置の設計段階で考慮し解決しておくべき課題です。運転員も配置につくまでに、例えばケースによって水位計の値を誤判断することのないよう、十分な教育がなされていなければなりません。これらが事前になされないままに、突然起きたレアーなケースの事故に的確に対応することは、現実的に至難のわざと言えます。

 事前段階と問題の発生後で対応のむずかしさと有効性に顕著な差があることを認識してのことと思われますが、全世界で2千万部以上のベストセラーになり、関連の企業研修なども行なわれているスティーブン・R・コヴィー著「7つの習慣」(キング・ベア―出版)では、日常実行すべき課題の優先度のとり方について次のように教えています。
 まず課題を、重要度大・緊急度大、重要度大・緊急度小、重要度小・緊急度大、重要度小・緊急度小の4領域に分けます。一般的にいって、重要度大・緊急度大のものを最優先でスケジュール化し実行しなければならないのは当然のことです。
 しかし「7つの習慣」では、さらに1歩進めて、日頃ほんとうに優先度高く実行していかなければならないのは、重要度大・緊急度小の課題であることを強調しています。重要度大の課題を緊急度小のうちに確実に解決しておかないから重要度大・緊急度大のものが生じるのである、本来そのような状態はつくっていけないと述べています。これは私たちが仕事に取り組むとき、最も留意しなければならない視点と言えるでしょう。
 福島第1原発では、全電源喪失という重要度大・緊急度大の事態が生じましたが、本来このような状況はつくってはいけないのであり、実際に起きてしまってから対処しようとしても、その作業はきわめて困難なものになります。

 それでは、なぜ福島第1原発で、全電源喪失のような非常事態に至ったのか、その根本的な原因が津波対策の不備にあったことは、今回の大地震で同じように大津波の襲来を受けた東北電力・女川原発と比較すると明らかです。女川原発は、津波の被害を受けた近隣住民の避難場所になったのに、福島第一原発では、被災していない住民まで原発から遠く離れた地に退避を余儀なくされました。20km圏内では4月上旬まで、行方不明者の捜索さえできなかったのです。
 今回襲来した津波の高さは、女川原発で13m、福島第1で14〜15mでした。それに対して女川では、津波高さを9.1mと想定し、敷地高さを15mとしていたため損傷を免れました。一方、福島第一では、津波高さを5.7mと想定、敷地高さを1〜4号機で10m、5〜6号機で13mとしていたため、1〜4号機で最も大きな被害を受けることになりました。

 福島第一原発では、なぜ津波高さを5.7mという低い値に想定していたのか、これについて東京電力は「土木学会の指針にもとづき津波の高さを最大でも5.5mと見積もっていた」と述べています。この土木学会の指針を2002年公表されたものと考えると、1号機建設工事の開始時(1966年)津波高さをどのような根拠で想定していたか不明ですが、いずれにしても敷地高さ10mが今世紀に至ってもなお妥当とされていたことはまちがいありません。このことに関しては今後、土木関係の学者の関与の仕方が適切だったのか検討の必要があります。なお、1号機設置の許可は、佐藤内閣のもとで行なわれました。

 ただし建設時想定を誤っていたとしても、福島第一原発は、1号機が稼働してから今回の過酷事故発生まで40年間の猶予が与えられていたのですから、その間に対策をとっていれば、事故は十分に防げた可能性があります。
 この点に関しては、少なくともこれまで市民団体や日本共産党が、具体的に熱心に問題提起をしてきています。
 2005年5月には、福島県の市民団体が東京電力・勝俣社長に「津波対策をとらずに運転するな」として、「チリ津波級の引き潮、高潮時に耐えられない東電福島原発の抜本的対策」を求めています。
 同月、「しんぶん赤旗」は3日間連載で「福島原発 地震大丈夫か」と題する市民団体代表委員の署名記事を載せましたが、その末尾の文章は次のようになっています。
 「多くの地震学者は、近年日本が大地震の活動期に入ったと言っており、広域複合震災発生の可能性も高く、「未曾有の国難」の時期を迎えつつあるという指摘もされています。
 日本における原発の大事故は地震を引き金にして発生する可能性が大きくなっているといわざるをえません。」
 「未曾有の国難」とは、今回の大地震後、与野党の政治家とマスコミがこぞって使っている言葉ですが、6年前にそれが明記されていることは注目に値します。

 2006年3月には、京大の原子核工学科卒の吉井英勝衆院議員が国会で、「地震による原発のバックアップ電源破壊や津波による機器冷却系喪失により、最悪の場合には炉心溶融、水蒸気爆発、水素爆発が起こりうる」という、今回の事態を正確に予測した質疑を行ないました。
 それに対して小泉内閣・二階経産相は、吉井氏の質疑を「御専門の立場から種々傾聴に値するお話をいただきました」と評価した上で、「私は、原子力に対しては、もう最悪の事態を考えても考え過ぎということはないと思う。ですから、原子力の安全の確保のために、今後、経済産業省を挙げて真剣に取り組んでまいりますことをここでお約束申し上げておきたいと思います」と立派に答弁したのですが、これは少しも実行されませんでした。

 福島の過酷事故予防対策実施の、(検討・工事期間からみて)最後の機会は、2007年だったと思われます。この年7月、中越沖地震のため柏崎刈羽原発で火災などのトラブルが発生、微量な放射性物質の漏れも起き、原子炉は全面緊急停止、その後長期間の運転休止を余儀なくされました。このとき、想定の2倍を超える加速度が記録されていることが分かりました。現実に起きる自然災害のレベルは、原発建設時の想定値を軽々と越えてしまうことが明らかに示されたのです。
 中越沖地震の8日後、日本共産党福島県委員会等は、佐藤知事と東京電力・勝俣社長に福島原発の耐震安全性への対応を求める申し入れを行ないました。その中で津波に関しては次のように書かれています。
「福島原発はチリ級津波が発生した際には機器冷却海水の取水が出来なくなることが、すでに明らかになっている。これは原子炉が停止されても炉心に蓄積された核分裂生成物質による崩壊熱を除去する必要があり、この機器冷却系が働かなければ、最悪の場合、冷却材喪失による苛酷事故に至る危険がある。そのため私たちは、その対策を講じるように求めてきたが、東電はこれを拒否してきた。柏崎刈羽原発での深刻な事態から真摯に教訓を引き出し、津波による引き潮時の冷却水取水問題に抜本的対策をとるよう強く求める。」

 ここでは引き潮時の冷却機能喪失のみ書かれていますが、想定以上の高潮で大きなトラブルが起きることは自明で、以前から問題提起がなされています。
 この申し入れに対して福島県も東京電力も何ら対応せず、安倍内閣のもと原子力監督当局も、柏崎刈羽原発の事故から教訓を得て電力各社に抜本対策を求めることはありませんでした。

 重大事故の数年前から、これだけ技術的・論理的に明確な問題提起が繰り返しなされ、一度は所管大臣が対策を明言し、しかし不作為で実行されず、そのため予測されたとおりの過酷事故が起きた事例は、きわめてまれと思われます。東京電力と歴代内閣をはじめとする行政当局の責任は、きわめて重いと言わざるをえません。

 現在、野党やマスコミなどにより、福島第1原発の過酷事故発生に対して、現内閣の初動が遅かった、原子炉への海水注入をなぜもっと早く東京電力に命令しなかったのか等の非難がなされています。大地震の発生と大津波の襲来以降、原発現場の状況把握と対応、東京電力本社や監督官庁・政府とのコミュニケーションがどのように行なわれたかは、今後詳細に検証する必要がありますが、今なされている批判には、このような過酷事故が起きたときの状況把握と対応のむずかしさが考慮されていないように思われます。
 スリーマイル島の事故のように、1つの炉で比較的単純なミスとトラブルが重なっただけでも現場は混乱をきわめました。まして福島の場合は、全電源喪失という致命的なトラブルにより、3つの原子炉と少なくとも2つの使用済み核燃料プールで、次々と問題が起きていったのです。電源喪失により、原子炉の状況把握のための各種計測データは得られず、電動バルブ等は操作できません。停電のため真っ暗で、津波や地震による建屋や設備の浸水や損壊、放射能のレベルにより、現場作業も容易には進まなかった可能性があります。
 公正に見て、事故判明後数時間の初動における現内閣の責任より、現在批判している野党が政権を担っていた40数年間、度重なる問題提起や申し入れがあったにもかかわらず、抜本的な津波対策を怠ってきた責任の方が、10倍くらい重いと考えられます。将来の改善のためにも、このように重大な結果をもたらした不作為が、どのような組織体制とプロセスのもとで長期にわたり継続したのか分析する必要があります。

 今回の福島第1原発の事故に対して、かつてスリーマイル島やチェルノブイリの事故を経験した担当者や各国の原子力安全・規制の責任者あるいは元責任者など、専門家16人が声明を発表し、その全文が4月19日、日本原子力産業協会のWebサイトに掲載されました。
 その中に、政府をはじめ、すべての原発関係者が銘記すべき次の一文があります。
 「次世代の原子力発電所は、たとえ緊急時に運転員が即応できない場合でも、安全を確保するものでなければならない。」

 今回の原発事故に関しても、問題の構造をいかに正しくつかむか、その視点が求められています。

 この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。
皆様からもご意見を頂ければ幸いです。