情報システム学会 メールマガジン 2010.7.25 No.05-04 [9]

連載 プロマネの現場から
第28回 プロジェクト・マネージャの資質・・インテグリティ

蒼海憲治(大手SI企業・金融系プロジェクトマネージャ)

 この半年間、最寄りの本屋さんに立ち寄るたびに目に留まるのは、萌え系の表紙がひときわ目を引く岩崎夏海さんの「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(*1)です。2010年7月初めの時点で「90万部突破」、ビジネス書では前代未聞のミリオンセラー達成も目前です。でも、そのおかげもあって、ビジネスマンのバイブル的存在であるピーター・ドラッカーさんの著作も、この本の周辺に並べられています。比較的読みやすい雑誌寄稿の論文集から、とても硬派な初期の論文まで入手しやすくなり、ドラッカーさんのファンの一人としては嬉しいかぎりです。
 「もし高校野球・・」の物語は、高校のダメ野球部の女子マネージャとなった主人公が、「マネージャ」違いの勘違いによって、ドラッカーの『マネジメント』(*2)を手にとるところから始まります。ところが、ドラッカーの言葉に導かれて、マネージャ自身の思考が変わり、行動が変わります。そして、やる気のなかった野球部員一人ひとりを変え、監督を変え、野球部を変え、野球部以外の部、学校そのものも変えていきます。この過程は、読んでいて感動します。
 そして、物語以上に、主人公が、野球部のマネジメントに困り、行き詰まったときに手にとった『マネジメント』の言葉が、どれも素晴らしいのです。

 とりわけ、「真摯さ」についての記述は、以前『マネジメント』を読んだときは、それほどのことと感じずに読みすごしていたところだったので、正直驚きであり、感動しました。
 該当の箇所は、マネージャに必要な資質を述べたところです。上田惇生さんの訳で紹介します。

「マネジャーの仕事は、体系的な分析の対象となる。

 マネジャーにできなければならないことは、
 そのほとんどが教わらなくとも学ぶことができる。
 しかし、学ぶことのできない資質、
 後天的に獲得することのできない資質、
 始めから身につけていなければならない資質が、一つだけある。

 才能ではない。真摯さである。」

 知的な能力よりも、真摯さがより重要である、と言い切ります。

「真摯さを絶対視して、初めてまともな組織といえる。
 それはまず人事に関わる決定において象徴的に表れる。
 真摯さは、とってつけるわけにはいかない。
 すでに身につけていなければならない。
 ごまかしがきかない。
 ともに働く者、特に部下に対しては、真摯であるかどうかは2、3週間でわかる。
 無知や無能、態度の悪さや頼りなさには、寛大たりうる。
 だが、真摯さの欠如は許さない。
 決して許さない。彼らは、そのような者をマネジャーに選ぶことを許さない。」

「いかに知識があり、聡明であって上手に仕事をこなしても、
 真摯さに欠けていては組織を破壊する。
 組織にとってもっとも重要な資源である人間を破壊する。」

 一編の詩のごとく畳み掛けるこの語りにしびれます。

 ところで、この「真摯さ」という資質、コンピタンシーや能力等の基準としては普段使わない言葉だったので、元の単語を調べてみました。
 原書、「Management Revised Edition」を見てみると、そこにはズバリ・・
 「Integrity(インテグリティ)」とありました。

 この「インテグリティ」という言葉、外来語としても、まだまだ耳慣れないのですが、時折り、はっとするシーンで使われています。
 映画『セント・オブ・ウーマン』(Scent of a Woman) の名シーンにも登場します。
 映画のあらすじを少し紹介すると・・クリスマス休暇前のある日、全寮制の有名高校において、校長先生の車をペンキだらけにするという悪質ないたずらが起こります。面子をつぶされて怒った校長は、目撃者と思しき生徒二人・・主人公の苦学生ともう一人の裕福な家庭の生徒を呼び出し、休暇明けに全校生徒の前で査問することを通告します。
 映画の中身は、このクリスマス休暇中、鬱々とした気持ちの苦学生と、盲目の退役軍人、アル・パチーノ扮するフランク・スレード元陸軍中佐との交流になっています。
 そして、休暇が終わり、全校集会が始まります。校長は二人の生徒それぞれに、「犯人の名前をつげよ」と問います。まず、裕福な父親を持つ一人の生徒は、「犯人は見たが、その日はコンタクトをはめていなかったので、よくわからない」と曖昧な返事をして、早々に父親のポケットに逃げ込みます。次に、もう一人の苦学生は、「犯人は見たが、言わない」と、同級生を校長に対して売ることを拒絶します。
 校長は、この生徒を篭絡するために、友人を売れば、名門大学への推薦をするが、拒否すれば即退学だ、と迫ります。そこにスレード元陸軍中佐が、憤然と弁護を買ってでます。
 曰く、この高校は過去に歴代の大統領を輩出したかもしれない。でも、いまの生徒たちにはその気概が無い。自分はベトナム戦争で数多くの少年兵を見てきた。手や足を失った若者も沢山いた。しかし、手足を失う以上に悲惨だったのは、心を失ったものだった。しかし、この生徒は失ってはいけない大切なものを知っている。それは「インテグリティ」と呼ばれるものであり、また「勇気」と呼ばれるものだ。「友だちを売らない」「魂を売らない」ことが大切であり、それができない人間にリーダーの資格があるわけがない。この青年の行く末を温かく見守ろう、と。
 この言葉の後、全校生徒からの圧倒的な拍手と歓声に包まれて、物語は終わります。
 そして、この映画を見て以来、「インテグリティ」は、ずっと気にかかっていました。

 ところで、インテグリティとは何か?

「英辞郎 on the Web」で、「インテグリティ」を調べてみると、
 integrity 【名】
   誠実、正直、高潔、品位
   完全(な状態)、完全性、全体性
 これらに加えて、コンピュータ用語として、システムの整合性の意味があります。

 また、訳語とされている日本語を、新明解国語辞典・第四版で調べてみると、はっきりとした差が出ています(この点、意外にも、広辞苑の説明は曖昧でした)。

 「誠実(さ)」は、「言動にうそ・偽りや、ごまかしが無く、常に自分の良心の命ずるままに行動する様子。」
 「正直(さ)」は、「何かを隠して言わなかったり、うそ・ごまかしを言ったり、することが(出来)ない様子。」
 「高潔(さ)」は、「常に厳しい態度で自らを律し、他から尊敬される様子。」
 「品位」は、「身だしなみや言葉つき、態度のりっぱさや姿の美しさなどから総合的にくみ取られる、育ちの良さや社会的ランクの高さ。」
 「真摯(さ)」は、「他事を顧みず、一生懸命やる様子。まじめ。」
 とあります。
 『マネジメント』の文脈からいえば、「インテグリティ」は、わき目もふらず仕事に没頭する一途さを表す「真摯さ」よりは、自己の良心に則り、自分を律するという意味がある「誠実さ」「高潔さ」の方が、より適切な言葉ではないか、と思っています。

 また、知能指数を図るIQに対して、心の知能指数・情動指数とよばれるEQについて扱った本の中に、インテグリティに関する記述があります。ロバート・K.クーパー&アイマン・サワフの『ビジネスマンEQ―あらゆる目標達成のための』(*3)では、インテグリティの訳語として、「高潔(さ)」を当てています。これについて同書には、以下のように書かれています。

 デヴィッド・コルフは、
 ≪高潔さとは人間の知性のもっとも高貴なかたちを表現した概念である。
  高潔さとは洗練された意識であり、創造性、価値観、直観および感受性を、
  合理的な分析力同様に深めた状態なのだ。≫と主張する。

 スティーブン・L・カーターによると、
 高潔さには3つの大きな要素が不可欠であるという。

 1.何が正しく、何が間違っているかを「認識」すること。
 2.たとえ個人的な犠牲を払っても、その認識に基づいて「行動」すること。
 3.自分自身の善悪の理解に基づいて行動していることを「率直に表明」すること。

 正直なくして高潔であることはありえないが、高潔さなくして正直であることはあり得る。具体的な状況や、前後の関係や道徳的な相手の感情を、タイミング、善悪の判断がなく、自分の信念や思ったこと・・たとえば差別的な発言など・・を口にすることは、それがその人にとって正直であったとしても、そこに高潔さはありません。

 そして、このインテグリティという資質・・ドラッカーさんによると、マネジメント以前に身につけておくべきことで、後天的には獲得困難と言い切られているのですが、『ビジネスマンEQ』においては、高潔さを発達させることができる、といいます。

 ≪本質的には、仕事における高潔さとは、その仕事を全面的に引き受け、
  明確でオープンなコミュニケーションをし、約束を守り、
  秘密協議を避け、自分自身や所属するチーム、あるいは会社を、
  信義を持って導く勇気を持つことである。
  そして信義という言葉には、常に正直に自分を − 頭だけでなく心においても −
  知り、それを保つことが含まれるのである。≫

 高潔さを発達させる法として、具体的には、日常の生活の中で、一日に5分でもよいから、「高潔さを高めるための時間」を取り、将来に向けて成長するために、自身の内面生活をじっくりと考えること。そこで、自分の感情や心象を、明るい面も暗い面も、全面的な拡がりと深みを持って自分にさらけ出してみる。自分の感情、思考、言動をかたちづくる内なる意識についての探究を深めることが勧められています。

 プロジェクトの慌しさの中で、自分の内面を見つめる余裕を失うことがしばしばです。特に、修羅場においては、目的は手段を正当化しない・・にもかかわらず、手段を優先したくなる衝動にかられることがあります。しかし、そうであるがゆえに、『マネジメント』の核に、「インテグリティ」「高潔さ」があることを肝に銘じておくことは、自身の行動指針を決めるにあたって非常に大切である、と思っています。

(*1)岩崎夏海「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」ダイヤモンド社 2009年刊

(*2)ピーター・F.ドラッカー『マネジメント―基本と原則 [エッセンシャル版]』訳・上田惇生 ダイヤモンド社 2001年刊

(*3)ロバート・K.クーパー&アイマン・サワフ『ビジネスマンEQ―あらゆる目標達成のための』訳・堀田力 三笠書房 1997年刊