情報システム学会 メールマガジン 2009.4.25 No.04-1 [6]

大学教育最前線:第17回
「同志社大学理工学部・情報システム学研究室 : PBL雑感」

同志社大学理工学部 教授 金田 重郎

あらまし

 PBL(Project Based Learning)に注目が集まっています.報告者も甲南大学・井上明先生とともに,この10年,PBLに取り組んできました.報告者らのPBLは,「学生自らが現場にヒアリングに行き,要求分析してシステムを設計し,実際にコーディングして業務に導入し,そして,維持管理する」ことを特徴としています.しかし,10年間の間に,PBLに対する我々の意識も大きく変化して来たように思います.当初の開発型PBLが,現状では徐々に難しくなって来ているように思います.そして,お客様がいないところからスタートして情報システムによるサービスを創作して提供する「サービスサイエンス」形とでも言うPBLが必要とされているように感じています.甲南大学・井上先生は,これを「PBL2.0」と呼んでいます.しかし,その道筋はいまだ見えません.それでも,チャレンジは進めたいと思っております.

(1)「開発型PBL」を振り返って

 報告者らが最初にPBL(当時はそのような用語は全く聞いたこともありませんでした)の対象としたのは,「バス・ラポ」サービスでした.幼稚園バスが停留所に接近すると保護者にメールで知らせるバス・ロケーション・システムです.このシステムは,実社会連携型ではありましたが,学生自らがシステムを開発したわけではありません.(当時の)NTTDoCoMoセンツウさんが開発をして,最終的には商品となりました.「バス・ラポ」は現在も,NTTDoCoMo系列からASPサービスとして提供されています.
 上記の「バス・ラポ」によって,実社会連携が,最初から「大成功」してしまったわけです.これで大いに気をよくしました.しかし,情報システムのことを学ぶという視点からは物足りないものでした.そこに,毎日新聞社京都支局との連携の話しが持ち上がりました.ただし,それは,あくまで,毎日新聞社の記者さんとの連携であり,毎日新聞社の京都支局長は最初から暖かく支援していただいたように思いますが,大阪や東京の本社は,当初,作ろうとしているイベント情報公開システムの開発には否定的な見解でした.
 それが変わったのは,何より,プロデューサとなった記者さんの情熱と,HTMLで学生たちが作ったプロトタイプをメディア編集担当の幹部に見ていただいたことが大きな方向転換の契機でした.実物をみて,東京の幹部の見解がガラッと変わったのです.この時にうれしく感じたのは,「社会は一見,硬そうに見えて,実は,進むべき方向とタイミングに合致したものであれば,だれかが小石を投げると,雪崩となって社会が変革されてゆく」という企業の中で感じてきたことを,学生さんに目の当たりにしてもらえたことでした.それ以降,「まっとうな『小石』を投げることこそ,『情報システム屋』の責務であり,そのような社会的なインパクト・意義のあるシステムをPBLでは作るべきである」と信じるようになりました.
 ただ,先般,情報処理学会ISECON2009で「先端教育賞」をいただいて感じたことは,(報告者らはあまり意識していなかったのですが)我々のPBLが一定の評価を頂いているのは「その組織にとって,本来業務に入り込んで,学生自らがシステムを開発し,それを維持管理している」という事実にあることを感じています.つまり,以下の2点が大きいように感じています.
対象ビジネスの本来業務のシステムである.
開発して実運用保守する.
あまり意識はしていませんでしたが,それが,報告者らが一定の評価をいただくことができたポイントだったように思います.

(2)変化する社会

 しかし,その「実社会連携による実システム開発PBL」も,10年が経過して,すこし,やりにくくなって来ている様に思います.理由は2つあると思います.
【社会のICT化の進展】
 報告者らは主に自治体や幼児教育機関(幼稚園・保育所)と連携して進めてきました.なぜ,自治体だったかというと,「行政サービスや情報は,あまねく公平に住民に開示されなければならない」という立場にあるために,学生たちがボランティアでもやる気になれたことと,正直なところ,自治体のICT化が民間企業より遅れているということがあったのだと思います.
 しかし,現在では,その状況は変わりつつあります.自治体のICTはこの10年,相当に進みました.但し,自治体調達の悪いところで,「丸投げ・買い叩き」的な体質は多かれ少なかれあり,導入されたICTシステムが,本当に行政現場にとって使いやすいものばかりかどうかはやや疑念が残る部分があります.しかし,何より,種々の行政サービスが,既に,ICT化されており,学生たちがゼロスタートで分担できるようなものは無くなって来ています.
【サービスサイエンス化】
 上記のような状況ですから,「別に現場は欲しいと思っていないものをサービスとして作り上げて提供する」ことが結果的にも必要になって来ます.報告者らのPBLでも同様のことは最初から起きていました.PBLの対象として,幼児教育分野向けの情報システムを取り上げて来たからです.上記の「バス・ラポ」はその最初のシステムです.しかし,実は,この幼児教育分野のPBLが難渋をしてきました.注意をしていただきたいのは,「バス・ラポ」は幼児教育の内容(コンテンツ)そのものを支援するシステムではない,という事実です.逆にいえば,大きな経済化効果の無いシステムですが,比較的,波風起こさずに,スペックを決めて,試験導入することもできました.最後は商品になって,いまだに販売されていることは,先に述べたとおりです.
 これに対して,幼児教育分野では,もともと,現場の保育者は,コンピュータの導入なんか望んでいません.そして,多くの保育者の方が,保育は,コンピュータで処理できるようなものではないと思っておられるように感じます.安い給料で,非常に多忙を極めているというのが現在のわが国の幼児教育界の現実です.つまり,「3K商売」なのです.一番大事なことは,お給料を上げて,お仕事を減らすことかもしれません.
 こんな状況ですから,学生がヒアリングに行っても,そこで出た「要求」はある意味で信用が置けません.次にヒアリングにゆくと変わっていたりします.これでは,仕様が固まりません.つぎつぎと仕様変更が入りますから,当然,システムとしての完成度も低くなります.現業に投入して数年間は維持管理することを要求される,実社会連携のPBLには使えません.

(3)PBL2.0へ向けて

 以上述べたように,子育て支援系の情報システムでは,ゼロからスタートして,新しいサービスを追究しないといけない状況に追い込まれて,「あがいて」来ました.しかし,それは,幼児教育だけではなく,種々の分野の情報システムにおいても,降って来ている課題のような気がしています.それを見出すような方法論が何より今,「情報システム」に求められている.だから,「サービスサイエンス」に皆さんが興味をもたれているのではないでしょうか?それは,正しい方向のように感じます.
 報告者らには知恵はありません.ただ,大学である以上,「科学的な理論によって裏打ちされた方法」で「科学的」に進めたいと思っています.その意味で,実社会連携PBLであっても,きちんとジャーナル論文が書けないといけないのだと思っています.いま,社会が要求していることは何かを追跡したい.これは,もう,「情報工学」ではなくて,経営学であり政策科学,経済学です.報告者らの研究室が,大手のベンダーのように,サービスサイエンスの最先端を切り開くことはおそらく無理だと思います.しかし,少なくとも,学生には,そのような意識と,何より,「成功体験」を持たせてやりたい.
 「SEは3K商売」という風潮はひろく学生の間に広がっています.しかし,報告者らの実社会連携PBLに参加したメンバーの就職は意外に良好です.「SEは3K商売」という風説が行き渡っているので,学生は,就職活動の初期段階では,どうしてもメーカーを希望します.しかし,情報工学系からでは,メーカー就職はうまく行かないようです.面白いことに,実社会連携PBLを経験している学生は,早めにSE希望に切り替えます.結果的に,就職では有利となります.今年の修士修了生も,採用をほとんど取りやめている某大手企業から内定を頂きました.
 本人たちは「就職活動をやって,自分はSI系しか行くところないとしみじみ思った.しょうがない,あきらめた.」などと言っています.「あきらめ」は「あきらめ」かも知れませんが,無気力な選択ではないように見えます.SI系に早めに切り替えたのは,SEとしてやってゆけそうだという自信があるからです.
 そのような,ささやかでも良い,感動と自信を,この実社会連携PBLの中では体験して欲しいと念じています.なかなかに難しいことですが.

【参考資料】

実システム開発を通じた社会連携型PBLの提案と実践
井上明,金田重郎
情報処理学会,論文誌,Vol.49,No.2,pp.930-943,2007年2月
(報告者らのPBLの実践がまとめられています.)
システムダイナミクスを併用した情報システムプロトタイプ評価法の検討
―応用システムをジャーナル論文に投稿することを目指して―
金田重郎
情報処理学会・情報システムと社会環境研究会,2008-IS-104,2008年6月
(PBLで開発したシステムがジャーナル論文にならないので,その原因等を考察した報告です.)
概念データモデリングへの意味論からの接近
金田重郎、吉田和正、吉澤憲治
第107回情報システムと社会環境研究会
情報処理学会研究報告、2009-IS-107,pp.31-38, 2009年3月
(モデラーは結局,どんな勉強を大学時代にすればよいのか.そのひとつの見方としてまとめたものです.意味論の中で,三浦つとむの言語過程説は,情報システム屋には示唆に富むと思っています.)